「闇の商人」 ◆虎視眈々 あれから、数日が経った。 軍隊長は、兵舎の自室にいた。 窓から、南の空を見ている。 あの巨大な獣。 赤い目。 知性を感じる威圧感。 (……次こそは) 第一地点には到達した。 だが、その先には行けなかった。 悔しさが、まだ胸の奥にある。 次の挑戦のためには、もっと準備が必要だ。 体力を回復させ、装備を整え、戦略を練り直す。 そして——もう一度、単独で挑む。 「隊長」 副官の声だった。 「なんだ」 「バルモラの船が入港しました」 軍隊長の眉が、わずかに動いた。 「……バルモラか」 「はい。商船のようですが……」 副官の声には、警戒の色があった。 「乗っているのは、あの大商人です」 軍隊長は、窓から視線を外さなかった。 「……来たか」 ◆アルダ船上にて バルモラの大商人は、アルダ軍の船に乗り込んできた。 堂々と。 まるで自分の船のように。 兵士たちが警戒する中、大商人は甲板に立った。 「やあやあ、アルダ軍隊長殿」 太った体。 金のネックレス。 高価そうな赤い衣。 そして——狡猾な笑み。 軍隊長は、腕を組んで大商人を見下ろした。 「何の用だ、商人」 「おお、冷たいですなぁ。  せっかく遠路はるばる来たというのに」 大商人は、両手を広げた。 「聞きましたよ、聞きました。  アルダ軍の挑戦、失敗したそうですな」 軍隊長の目が、鋭くなった。 「誰から聞いた」 「情報は、金で買えますからなぁ。  それに、あなた自身が単独で挑戦したとも聞きました」 大商人は、一歩近づいた。 「限界を見たのでしょう?  感じたのでしょう?  一人では、無理だと」 軍隊長は、黙っていた。 「そこで、私がお力添えを」 大商人は、指を鳴らした。 船の甲板に、何人かの人影が上がってきた。 鎖につながれた者たち。 様々な種族。 様々な体格。 共通しているのは——戦士の体と、死んだ目。 「私の持つ戦力、いかがですかな?  この者たちは、あらゆる戦場で戦ってきました。  あなた方アルダ軍とも、何度か刃を交えたことがあるはずです」 軍隊長の目が、奴隷たちを見た。 確かに、見覚えがある。 戦場で出会った強敵たち。 バルモラの武装奴隷団。 「強さは、お墨付きですよ。  今回の挑戦にも、きっと役に立つ」 大商人は、ニヤリと笑った。 「新たな手を取れ、アルダ軍隊長よ。  どのようなタイプがお好みですかな?  力自慢? 俊敏型? それとも魔法使い?」 沈黙。 軍隊長は、しばらく黙っていた。 そして—— 「……ふっ」 小さく、笑った。 「バルモラの大商人よ」 低い声。 「その首、飛ばされたいのか?」 大商人の笑顔が、一瞬だけ固まった。 「この大国、軍事大国アルダの軍隊長に、  奴隷戦力を売りつけようとは」 軍隊長は、剣の柄に手をかけた。 「確かに、お前の持つ奴隷がどれほどの力を持つか、  俺はよく知っている。  戦場で何度も刃を交えたからな」 一歩、前に出る。 「だが——お前の手を取ることは、ない」 大商人は、後ずさりしなかった。 「お前は闘の人間だ。  アルダとして、あり得ぬ選択肢だ」 「おやおや、残念ですなぁ」 大商人は、肩をすくめた。 だが、その目は笑っていなかった。 「まあ、今日のところは引きましょう」 踵を返しながら、振り向いた。 「ですが——いつか、必要になるときが来る。  そのときを、楽しみにしておりますよ」 大商人は、船を降りていった。 鎖につながれた奴隷たちを引き連れて。 軍隊長は、その背中を見送った。 (……あの男には、気をつけろ) アルダ軍全員に、そう伝えなければならない。 ◆いつもの港 港は、いつも通りだった。 商人たちが行き交い、荷物が運ばれ、声が飛び交う。 グラニは、グリーンの受付の横に座っていた。 「グリーンさん、今日の仕事は?」 「んー? まあ、いつも通りだな〜」 グリーンは、帳面をめくっていた。 そのとき—— 何かが、変わった。 空気が、重くなった。 グラニは、本能的にそれを感じ取った。 港の入り口から、一団が歩いてくる。 先頭に立っているのは、太った男だった。 赤と金の派手な衣装。 光るネックレス。 自信に満ちた歩き方。 グラニは、椅子から立ち上がろうとした。 ——その瞬間。 グリーンの手が、グラニの肩を押さえた。 「……っ」 「座ってろ〜」 いつもの調子。 だが、手の力は強かった。 グラニは、グリーンを見上げた。 グリーンは、グラニを見ていなかった。 太った男を見ていた。 いつもの笑顔だった。 でも——何かが違う。 男が、受付の前に立った。 「おや、受付か」 高慢な声。 グリーンは、立ち上がった。 「これはこれは、バルモラの大商人様。  ようこそ双極島へ〜」 深々と頭を下げる。 いつもの陽気な調子だった。 大商人は、鼻で笑った。 「ふん。王のところに案内せよ」 「分かりました〜。  では、こちらへ〜」 グリーンは、歩き出した。 グラニは驚いた。 いつもなら、こういう仕事はグラニに任せる。 「だんなぁ〜、頼むわ〜」と言って、自分は座っている。 なのに、今日は自分で行く。 グラニを——置いていく。 「……グリーンさん?」 声をかけようとした。 だが、グリーンは振り向かなかった。 大商人を先導しながら、港の奥へ消えていく。 グラニは、椅子に座ったまま、それを見ていた。 そして——大商人の後ろについていく者たちを見た。 ぞろぞろと。 十人以上。 小汚い、見たことのない姿。 様々な種族がいた。 人間に近い者もいれば、肌の色が違う者もいる。 角が生えている者。 尾がある者。 グラニは、興味深々で見ていた。 だが——同時に、何かがおかしいと感じた。 首にあるもの。 手首にあるもの。 足首にあるもの。 金属の輪。 鎖。 ——拘束具。 そして、体のあちこちにある傷。 古い傷、新しい傷。 鞭で打たれたような跡。 匂いも、おかしかった。 汗と泥と、何か別のもの。 ——血の匂い。 グラニは、背筋が寒くなった。 (……何だ、あれ) 分からない。 でも、危うさを感じる。 あの人たちは、普通じゃない。 自分の意思で歩いているようには見えない。 まるで——所有物のように、引きずられている。 グラニは、しばらくその場に座っていた。 何も、動けなかった。 ◆王の間 双極島の王城。 その一番奥に、王の間がある。 王が、玉座に座っていた。 老人だった。 痩せていて、目だけが鋭い。 その前に、バルモラの大商人が立っていた。 「遠路はるばる、ご苦労であった」 王の声は、静かだった。 「ありがたきお言葉、恐れ入ります」 大商人は、深々と頭を下げた。 だが、その目は卑屈ではなかった。 むしろ——値踏みするような目だった。 「して、今日は何用か」 「ご挨拶に参りました」 「挨拶、だけか」 「もちろん、商人として、いくつかご提案もございます」 大商人は、懐から書状を取り出した。 「双極島との取引について、新たな条件を——」 王は、手を上げた。 「後でよい。まずは、休むがよかろう」 「……は」 大商人は、少し不満そうだったが、頭を下げた。 「では、後ほど改めて」 大商人が退出していく。 王は、その背中を見送った。 表情は、読めなかった。 ◆裏から 王の間の裏側。 薄暗い通路に、グリーンがいた。 壁に背を預けて、王の間の会話を聞いていた。 (……挨拶、ねぇ〜) 嘘だ。 あの男が、ただの挨拶のために来るわけがない。 (何を狙ってる……) バルモラは、商業大陸。 金で動く。 そして——闇を持つ大陸。 奴隷取引。 暗殺。 裏工作。 表では笑顔で商売をし、裏では何でもやる。 (あの奴隷たち……) 船から降りてきた者たちを思い出す。 あれは、ただの荷物じゃない。 戦力だ。 武装奴隷団。 なぜ、双極島に連れてきた? 売りに来たのか? それとも—— 「……やれやれだな〜」 グリーンは、小さく呟いた。 面倒なことになりそうだ。 でも——今は、動けない。 静観するしかない。 グリーンは、裏通路を歩き出した。 港に戻らなければ。 グラニが、一人で待っている。 (……あの子には、見せたくなかったな〜) 奴隷の姿。 拘束具。 傷。 グラニは、まだ知らない。 世界の闘がどれだけ深いか。 でも——いつかは、知ることになる。 それが、この世界の現実だから。 「……まあ、今日のところは良しとするか〜」 グリーンは、いつもの調子で呟いた。 だが、その目は笑っていなかった。 ◆港に戻って グリーンが戻ってきたとき、グラニはまだ受付の横にいた。 「お〜、待ってたか〜?」 「……うん」 グラニの声は、いつもより小さかった。 グリーンは、椅子に座った。 「どうした〜? 顔色悪いぞ〜」 「……さっきの人たち」 「ん?」 「あの……後ろについてきてた人たち」 グラニは、言葉を探した。 「あの人たち、何?」 グリーンは、少し間を置いた。 「……見たか〜」 「見た。首に、何かついてた。鎖みたいなの」 「そうか〜」 グリーンは、空を見上げた。 「あれは——奴隷だ〜」 「……奴隷?」 グラニは、その言葉を聞いたことがあった。 パイルとナッドのことを、兵士が「使いの子供」と呼んでいた。 「あれ……パイルたちと、同じ?」 「似てるけど、違うな〜」 グリーンは、静かに言った。 「パイルたちは、『使いの子供』だ〜。  アルダ軍の下働き。  まだ、扱いはマシな方だ〜」 「じゃあ、さっきの人たちは?」 「あれは——武装奴隷団だ〜。  バルモラが所有する、戦闘用の奴隷。  戦わせるために、買われて、育てられて、使い捨てにされる」 グラニは、黙った。 言葉が、出なかった。 「世の中には、そういうのがあるんだよ〜」 グリーンは、いつもの調子で言った。 「いつか、もっと詳しく教えてやるよ〜。  でも、今日は——」 グリーンは、グラニの頭を撫でた。 「仕事しようぜ〜」 「仕事って言っても、きゃこも来なきゃいつも通りお日様眺めるだけだけどな〜!ガハハハ」 「……」 「……うん」 グラニは、頷いた。 でも、頭の中には、あの人たちの姿が残っていた。 拘束具。 傷。 死んだような目。 (……パイルとナッドも、あんな風に扱われてたのかな) 分からない。 聞いていいのかも、分からない。 でも—— (……知りたい) 世界のことを、もっと知りたい。 グラニは、そう思った。