「誘拐」 ◆いつもの朝 港に、陽が昇る。 グラニは、いつものように仕事をしていた。 荷物を運び、船を案内し、グリーンさんの横で座る。 あの日から、数日が経った。 バルモラの大商人は、まだ島にいる。 王との商談が続いているらしい。 そして——あの奴隷たちも、まだいる。 「グラニ〜、今日は午後から暇だぞ〜」 グリーンさんが言った。 「え、なんで?」 「商人たちが会議だと〜。船の出入りが少ないらしいぞ〜」 「……そっか」 グラニは、少し嬉しかった。 午後から暇なら、友達に会いに行ける。 ◆見晴らしの丘 昼過ぎ。 グラニは、港から少し離れた場所にいた。 見晴らしの丘——子どもたちだけが知る場所。 南の海が一望できる、小さな草地。 木々に囲まれて、大人たちからは見えにくい。 子どもたちが、時々集まって遊ぶ場所だった。 「お、グラニ!」 ヘイタの声だった。 「遅いじゃん!」 ヘイタは14歳。 宿屋の息子で、情報通。 陽気で面倒見がいい。 「ごめん、仕事が長引いて」 「まあいいけど。今日、チーも来るってよ」 「チーも? 珍しいね」 チーは10歳。 王の側室の娘で、礼儀正しいがおっとり。 普段は城から出てこないことが多い。 「なんかさ、最近外に出たいんだって」 「へえ」 そこに、フェズが来た。 「よう」 フェズは11歳。 レストラン「ビッグイーター」の手伝いをしている。 父親がいない。 観察力が高く、グラニが尊敬している相手だった。 「フェズ、今日は休み?」 「午後だけな。ユキナさんが許可してくれた」 三人は、草地に座った。 ◆チーの登場 しばらくして、チーが来た。 護衛の兵士が、後ろについている。 「あ、チー!」 ヘイタが手を振った。 チーは、小さく頭を下げた。 「皆さん、お久しぶりです」 礼儀正しい口調。 薄い青の服を着ている。 貴族らしい上品な雰囲気。 「チー、久しぶり! 元気だった?」 「はい、おかげさまで」 チーは、みんなの輪に加わった。 護衛の兵士は、丘の入口——木々の間で待っている。 ここなら子どもたちを見守りつつ、邪魔にならない。 「ねえ、最近どうしてた?」 ヘイタが聞いた。 「お勉強を……。あと、刺繍とか」 「城って暇そうだよな〜」 「暇……というわけではないのですが……」 チーは、少し困ったように笑った。 「たまには、外に出たくて」 「分かる分かる!」 ヘイタが大きく頷いた。 ◆見つめる視線 四人は、しばらく話をしていた。 港の話。 最近のモンスターの話。 アルダ軍の話。 「軍隊長の人、すごかったらしいよね」 ヘイタが言った。 「南に単独で行って、帰ってきたって」 「……うん」 グラニは、頷いた。 自分も見た。 傷だらけで帰ってきた軍隊長を。 「グラニ、あの人に稽古つけてもらってるんでしょ?」 フェズが言った。 「……うん、少しだけ」 「すげーじゃん」 「俺は、まだ全然だよ」 グラニは、首を振った。 そのとき—— フェズが、視線を動かした。 「……」 グラニは、フェズの視線を追った。 木々の向こう。 人影が見えた。 見たことのない者。 汚れた服。 首に——金属の輪。 「……あれ」 グラニは、声を低くした。 「バルモラの……」 奴隷だった。 あの日、大商人と一緒に来た者たち。 何人かが、こちらを見ている。 こんな場所まで——どうやって知ったのか。 「……なんで、こっち見てるんだろ」 ヘイタが、不思議そうに言った。 「知らない。でも——」 フェズが言った。 「——さっきから、ずっと見てる」 ◆嫌な予感 グラニは、立ち上がった。 「……帰ろう」 「え? もう?」 「なんか……嫌な感じがする」 フェズも、立ち上がった。 「……同感だ」 ヘイタとチーも、顔を見合わせた。 「じゃあ、帰るか」 四人は、立ち上がった。 丘の入口へ向かおうとした——そのとき。 護衛の兵士が、膝から崩れ落ちた。 「え……?」 チーが、声を上げた。 兵士は、何も言わずに倒れた。 まるで糸が切れたように——一瞬のうちに。 「護衛さん!?」 チーが駆け寄ろうとした。 だが、グラニは見た。 兵士の体が倒れる直前—— かすかに、空気が揺らいだのを。 何だ、今の……? 分からない。でも——何かがおかしい。 グラニは、周りを見た。 木々の間から、人影が近づいてくる。 複数。 奴隷たちだった。 「——逃げろ!」 グラニは叫んだ。 だが、遅かった。 丘は木々に囲まれている。 入口は一つ——そこはすでに塞がれていた。 背後から、腕が回された。 「っ!!」 グラニは、捕まった。 ヘイタも、フェズも、チーも—— 一瞬のうちに、押さえつけられた。 「離せ……! 離せっ……!」 グラニは暴れた。 だが、相手は大人だった。 しかも、戦士として鍛えられた奴隷。 子どもの力では、まったく歯が立たない。 「静かにしろ」 低い声。 その瞬間—— グラニの体から、力が抜けた。 「……え?」 何が起きたか、分からなかった。 手足が——動かない。 声が——出ない。 体が、自分のものじゃなくなったみたいだ。 視界が、ぼやけていく。 意識が——遠のく。 ◆気づく者 パイルとナッドは、訓練場にいた。 素振りの途中だった。 「……」 パイルが、手を止めた。 「どうした」 ナッドが聞いた。 パイルは、答えなかった。 ただ——周りを見ていた。 風の向き。 人の気配。 空気の匂い。 奴隷として生きてきた習性。 危険を察知するための、本能的な感覚。 「……なんか、変だ」 「変?」 「さっきまで、あっちにいた奴らがいない」 「どこの奴ら」 「バルモラの奴隷。五、六人で固まってた」 ナッドも、周りを見た。 確かに——さっきまでいた人影が消えている。 「どこ行った」 「分からん。でも——」 パイルは、目を細めた。 「——嫌な感じがする」 奴隷だった頃の記憶が、警告を発している。 何かが起きる前の静けさ。 獲物を狙う者の動き。 あの頃、何度も見た光景だった。 「行くぞ」 「どこへ」 「探す」 二人は、訓練場を離れた。 港を見て回る。 大通りを確認する。 普通じゃない。 バルモラの奴隷たちが、まるで姿を消したように見えない。 「港にもいない。船にも戻ってない」 ナッドが言った。 「じゃあ、どこだ……」 パイルは、立ち止まった。 考える。 奴隷だった頃——逃げるとき、どこに行ったか。 人目につかない場所。 見つかりにくい場所。 「……丘の方」 「丘?」 「あっちは木が多い。人目につきにくい」 二人は、走り出した。 丘の草地に着いたとき—— そこにいたのは、倒れた兵士だけだった。 「……くそ」 パイルは、地面を見た。 足跡が残っている。 複数の大人の足跡。 そして——小さな足跡が、途切れている場所。 持ち上げられた。 運ばれた。 「何人だ」 「……大人が六人。子どもが四人」 パイルは、足跡を読んでいた。 深さ、間隔、向き。 奴隷として仕込まれた技術だった。 「方角は——あっち。崖の方だ」 「追うか」 「いや——」 パイルは、首を振った。 「先に報告だ。俺たちだけじゃ、どうにもならん」 ◆報告 兵舎。 パイルとナッドは、上官の部屋に飛び込んだ。 「報告があります!」 上官——アルダ軍の兵士長が、顔を上げた。 「どうした。騒々しい」 「子どもが誘拐されました。  丘の方で、バルモラの奴隷が——」 「何だと?」 兵士長は、立ち上がった。 「詳しく話せ」 パイルが説明した。 足跡のこと。 消えた奴隷のこと。 倒れていた護衛のこと。 「……間違いないか」 「はい。足跡から、大人六人、子ども四人。  子どもは途中から自分で歩いていません。運ばれています」 兵士長の顔が、険しくなった。 「分かった。すぐに副官に報告する。  お前たちは、ここで待て」 兵士長は、部屋を出た。 副官の部屋へ走る。 「副官!」 「何事だ」 「子どもが誘拐された——!」 副官が、報告を受けた。 「子どもが誘拐された……?」 「はい。丘の方で、子どもたち四名が連れ去られたようです。  その中には——王族の子どもも含まれている可能性があります」 副官の顔色が変わった。 「王族の子ども……?」 「護衛が倒れていたと。パイルとナッドからの報告です」 副官は、立ち上がった。 「すぐに隊長に報告する」 副官が、扉を開けた——その先に。 軍隊長が、立っていた。 「何の騒ぎだ」 「隊長! 実は——」 副官が、状況を説明した。 軍隊長の目が、鋭くなった。 「バルモラの奴隷か」 「おそらくは……」 「証拠は」 「パイルとナッドが足跡を確認しています。  大人六人、子ども四人。子どもを運んだ痕跡あり」 軍隊長は、考えた。 「……大商人に問いただしても、しらばっくれるだろう」 「はい……」 「だが、動かんわけにはいかん」 軍隊長は、副官を見た。 「副官。聞け。  これは、大国間の問題になりかねん」 「は……」 「騒ぎにするな。島の信頼できる者だけと連携しろ。  捜索は少人数で、静かに行え」 「了解しました」 「俺は——直接、聞きに行く」 軍隊長の目には、怒りがあった。 ◆知らんぷり バルモラの船。 大商人は、甲板の椅子に座っていた。 ワインを飲みながら、海を眺めている。 「お、これはアルダの軍隊長殿」 軍隊長が、船に乗り込んできた。 「どうされましたかな?  奴隷を買いにきましたかな」 笑顔。 だが、目は笑っていない。 「お前の奴隷が、子どもを誘拐した」 「ほう?」 「知らんとは言わせんぞ」 大商人は、肩をすくめた。 「それは大変ですな。  しかし、私は何も知りませんよ」 「嘘をつくな」 「嘘とは失礼な。  私はここにおりましたからな。  奴隷たちが何をしていたかなど、存じ上げません」 軍隊長は、歯を食いしばった。 証拠がない。 奴隷たちが動いたことは分かっている。 だが、大商人が命じたという証拠がない。 「そもそも——私の奴隷たちは、私の許可なく動いたりしません」 大商人は、にやりと笑った。 「おそらく、行方不明になっただけでしょう。  先日も凶暴なモンスターが多数出没したと聞きます。  もとより危険な島ですしな」 「貴様……!」 「落ち着いてください、軍隊長殿。  私を責めても、子どもたちは戻りませんよ」 軍隊長は、剣の柄に手をかけた。 だが——動けなかった。 ここで大商人を斬れば、国際問題になる。 バルモラとアルダの関係が、悪化する。 「……どこにいる」 「さあ? 私は知りませんよ」 大商人は、ワインを飲んだ。 「探すなら、島を探すことですな。  この島は広い。  隠れる場所など、いくらでもある」 軍隊長は、船を降りた。 振り返らずに、歩き出した。 大商人は、その背中を見送った。 そして——小さく笑った。 ◆暗い場所 グラニは、目を覚ました。 頭が、重い。 体が、だるい。 何が起きたのか——すぐには思い出せなかった。 「……っ」 周りは、暗かった。 石の壁。 地面は、湿っている。 どこかの洞窟か。 手が、縛られている。 「……グラニ」 声がした。 フェズだった。 「フェズ……!」 「静かに。見張りがいる」 グラニは、周りを見た。 フェズがいる。 ヘイタもいる。 チーもいる。 四人とも、縛られていた。 「ここ……どこ?」 「分からない。連れてこられた」 フェズは、静かに言った。 「でも——まだ港から遠くないと思う」 「どうして?」 「空気の匂い。潮のにおいがする」 さすがフェズだ、とグラニは思った。 「どうする……?」 ヘイタの声は、震えていた。 そのとき—— チーが、きょろきょろと周りを見た。 「あの……」 「ん? どうしたチー」 「この洞窟、とても涼しいですね。  夏にはいいかもしれません」 「……え?」 グラニは、チーの顔を見た。 チーは、真面目な顔をしていた。 「城の地下も涼しいのですが、ここほどではありません。  お父様に教えてあげたら、喜ぶかもしれません」 「いや……チー、今そういう状況じゃ……」 「え? そうですか?」 「俺たち、誘拐されてるんだよ……」 「あ……」 チーは、少し考えた。 「でも、涼しいのは本当ですよね?」 「……いや、そうだけど」 グラニは、息を吐いた。 怖い。 不安だ。 でも——仲間がいる。 「……とにかく、考えよう」 グラニは言った。 「——誰かが、気づいてくれるはずだ」 ◆続く 外では、夜が近づいていた。 捜索は、静かに進められていた。 軍隊長は、信頼できる少数の兵士と、島の民と連携していた。 パイルとナッドも、独自に動いている。 グリーンは——姿を見せていなかった。 そして—— 夜の海を、神秘な船が進んでいた。 白い帆が、月明かりに浮かび上がる。 金の文様が、淡く光る。 その船は——双極島へ向かっていた。