第2話 「挑戦者たちと、奴隷の子ども」 ◆軍船、到着 アルダ大陸からの軍船は、 港の入り口で一度ゆっくりと向きを変え、 波を割りながら桟橋へと近づいてきた。 船体の側面には、鋭いラインの紋章。 帆は厚い布で、風を受けて大きく膨らんでいる。 今まで見てきた商船や漁船とは、まるで迫力が違った。 「……おっきい」 グラニは、思わず呟く。 船が桟橋にぴったりつくと、 ギギギ……と木の軋む音がして、 舷側から金具つきの階段が下ろされた。 「うわ、ほんとに“軍”って感じだな」 港に集まった島民たちの間から、感嘆と緊張の声が漏れる。 階段の上には、ずらりと兵士たちの列。 簡素な冑と、軽装の鎧。 だがその立ち方、並び方、視線の鋭さだけで、 彼らが日常的に「戦うこと」を前提に生きていると分かる。 「右顔向け!」 甲板の上から響いた号令に合わせて、 兵士たちはビシリと姿勢を正した。 そして—— 列の間を、ひときわ迫力のある男がゆっくりと進んでくる。 短く刈った黒髪。 鋭い目は、笑っていないのにどこか楽しんでいるようでもある。 鎧は他の兵よりも重厚で、肩には隊長を示す紋章。 「……あれが」 グラニの胸が、高鳴る。 「アルダ軍の、軍隊長……」 ◆グリーンと軍隊長 人の波をかき分けるようにして、 受付カウンターから一人の男が歩み出た。 「どうもどうも〜〜!」 陽気な声。 港ではすっかりお馴染みの、あの男——グリーンだ。 「ようこそ双極島へ! 私は街の案内受付のグリーンと申します〜。 アルダ大陸からのお客様は大歓迎でございますよ〜。どうぞお見知りおきを〜!」 彼は大げさなまでに腰を低くし、 ひらひらと手を広げて軍隊長の前に立つ。 軍隊長は、軽く顎を上げてグリーンを見下ろした。 「私はアルダ軍軍隊長。 双極島へ“挑戦”に来た」 重く、よく通る声。 それを聞いた瞬間、周囲の空気がピンと張りつめる。 だがグリーンは、まるで気にしていない。 「はい! 王より伺っております! 街の者みんなが楽しみにしておりましたとも!」 ——「王より伺っております」という言葉に、 グラニはちょっとだけ背筋が伸びた。 (やっぱり……城の人たち、ちゃんと準備してたんだ) グリーンは続ける。 「まずは軍隊長殿、王のところに行かれますか?」 軍隊長は少しだけ考えるように目を細め、 すぐに頷いた。 「そうだな。 まずは挨拶に伺おう」 「はい〜、ではこちらでございます」 グリーンは、いつもの調子でくるりと踵を返し、 軍隊長を先導しようとする。 その時、軍隊長はふいに振り返った。 「総員——ひとまず休め!」 一瞬緊張した兵士たちの身体から、 少しだけ力が抜ける。 「“挑戦”は明後日になるであろう」 ざわっ、と兵士たちの間に小さなさざ波が走る。 「各自、必要な準備を整えろ。 ……ただし——」 軍隊長は一人の兵士を指さした。 「お前は隊をまとめて、必要な物資や補給の確認だ。 今日は夜まで、基本自由にして構わん」 「はっ!」 兵士が答えると、軍隊長は改めてグリーンの方を向いた。 「受付係よ」 「は〜い、なんでしょう軍隊長殿」 「この街で、補給や物資の手配を手伝える者はいるか?」 グリーンは、待ってましたと言わんばかりに笑顔を全開にする。 「もちろんでございますとも! こちらの——」 くるりと振り向いたかと思うと、 近くで様子を見ていたグラニの首根っこを、 ガシッとつかんだ。 「グラニという商人が、しっっかり対応しますよ、軍隊長殿!」 「え、ちょ、えええええっ!?」 気づいた時には、 グラニの体は、ずるずると兵の列の前に引きずり出されていた。 ◆「商人」グラニ、指名される 「……ふむ」 軍隊長は、グラニを一瞥した。 その視線だけで、グラニは背筋がピンと伸びる。 (う、うわ……でかい……) 年齢は父バンより少し若いくらいか。 だが纏っている空気は、港に来る挑戦者たちの誰とも違った。 「よし、“商人”」 軍隊長はそう呼んだ。 「貴様はアルダ軍の何名かと共に、 物資の補給などを手伝え」 「えっ、あ、ぼ、僕……?」 グラニは思わず自分を指さし、 次の瞬間には慌てて手を下ろす。 「は、はいっ。わかりました!」 声が少し裏返ったが、 それでもグラニは、軍隊長の目を見て答えた。 (目、怖っ……でも、なんか……) 怖さだけじゃない、何か別のものも感じた。 それが何なのか、今のグラニにはまだ分からない。 「よろしい」 軍隊長は短くそれだけ告げると、 グリーンの後について歩き出した。 グリーンと軍隊長、 それに数名の兵士が、城へ向かって坂道を登っていく。 グラニは小声で、遠ざかる背中にぼやいた。 「……相変わらずすげぇな、グリーンさん。 ビビんねぇのかよ。こっちはめっちゃ怖かったぞ……」 誰も聞いていない愚痴をこぼしながら、 グラニは胸の鼓動を落ち着けようと深呼吸した。 ◆軍船の中へ その後すぐ、 グラニはさきほど指名された兵士と一緒に、 補給に必要な品の確認を始めた。 「まず、船の修繕に使う材料と道具だ。 お前の島には、鍛冶屋や道具屋はあるか?」 「あります。 鍛冶屋はヘルグさんの店が一番で、 道具屋はメーカーさんのお店が——」 グラニは、頭の中で港の地図を描きながら、 言葉を並べていく。 「港から坂道を上がって、 角を二つ曲がった先の——」 兵士は、真剣な顔でメモを取っていた。 「砥石はあるか?」 「あります。 ヘルグさんのところと、道具屋にも……」 兵士は頷く。 「分かった。後で案内してもらおう」 「この街の物は質がいいと聞いている」 「へぇ〜」 グラニは、思わず素直な声を漏らす。 (……そんなふうに思われてるんだ、この島の道具) 双極島が「挑戦の島」だという話は知っていた。 だが「物の質がいい」という評価も、 ちゃんと大陸に届いているのだと知り、 少し誇らしい気持ちになった。 兵士の案内のもと、 グラニは軍船に乗り込むことになった。 「うわ……」 甲板に足を踏み入れた瞬間、 その広さと、木の香りと、 規則正しく並べられたロープや樽に圧倒される。 今まで見てきたどの船よりも、 ずっと大きくて、ずっと整っている。 (すっげぇ……) 胸が高鳴る。 足元がふわふわするような、高揚感。 兵士の説明が、どこか遠くで聞こえる。 「こちらが兵の寝床だ。 こっちが予備の武具。 あそこが食料庫、その隣が——」 「へー……」 グラニの返事は、半分上の空だった。 (こんな船で“端っこ”に向かうのか……) 双極島の北端と南端は、 誰も到達したことがない危険地帯。 そこへ向かう準備をしている軍の船の中に、 今、自分が立っている。 それだけで、胸の中が未知の感情でいっぱいになる。 ◆ビッグイーターとドロップライト 「それと——」 兵士はメモをめくりながら続けた。 「食事処。 長旅だ、まともな料理を食べたい者も多い」 「料理なら、ユキナさんの“ビッグイーター”がオススメです」 グラニは即答する。 「肉も魚も山盛りで、 大陸から来た人たちにも人気で——」 「おお、それはいいな。 後で場所を教えてくれ。何人かで行かせよう」 兵士の顔が少しほぐれた。 「それから、酒場や気晴らしができる場所は?」 「エマさんの“ドロップライト”って飲み屋があります。 騒がしいけど、楽しいところです」 「騒がしい、か」 兵士はフッと笑う。 「うちの連中にはちょうどいいだろう。 できれば、何卓か予約しておいてくれないか?」 「はい!」 グラニは、 自分の仕事が本格的に始まっていることを実感し、 少しだけ胸を張った。 (なんか…… 島のこと、ちゃんと“任されてる”感じがする……) さっきまで恐ろしく見えた軍の兵士たちも、 話してみれば案外普通の人たちだ。 ただ、 彼らの「普通」は、 戦うことが前提の「普通」であるだけで。 ◆甲板で出会う二人 一通りの確認が終わり、 最後に甲板へ戻ったときだった。 「……あ」 さっき、ちらりと目に入った光景が、 また視界に飛び込んでくる。 甲板の端の方。 積まれた荷物の陰に、 グラニと同じくらいの背丈の子どもが二人。 ひとりは少年。 短く切られた髪、腕には固く締められた布。 体つきは細いが、筋肉が浮かんでいる。 もうひとりは少女。 肩で切りそろえられた髪、 冷めたような目つきで周りを見ている。 表情こそ違うが、 どちらからも「戦い慣れた」匂いが漂っていた。 (さっきも見えた子たちだ……) グラニは、なんとなく気になっていた。 ——同じくらいの子どもが、 軍の船に乗っている。 そこに妙な「安心感」を覚えていたのも事実だった。 (あとで……話しかけてみようかな) そう思いながら、 とりあえず仕事を終えて船を降りようとした、その時。 「おい」 鋭い声が、背中に突き刺さった。 振り返ると、 さっきの少年が、こちらを睨んでいる。 「何見てんだ、お前」 ◆「田舎のガキ」 グラニは、反射的に笑顔を作った。 「え? いや、その……」 ちょっとだけ安心してた——なんて、 そのまま言うのは恥ずかしくて、 言葉が喉で転がる。 結局、出てきたのは、そのまんまの本音だった。 「同じ子どもが軍の船に乗っててさ。 ちょっと安心した!」 一瞬、沈黙。 次の瞬間、少年と少女は顔を見合わせ—— 「あっはっはっはっは!」 甲板に響くほどの大笑いをし始めた。 「あははは! 同じ……子ども!?」 「ワハハハ! ふざけんなよ、田舎のガキが」 少年が鼻を鳴らす。 「お前みたいなのと一緒にすんな。 俺たちはアルダ軍の“使い”だぞ」 少女は冷たい声で付け加える。 「島の子どもなんて弱いんでしょ? 挑戦する資格すらないって聞いたけど?」 その言葉は、 氷の欠片みたいに、グラニの胸に刺さった。 何が起きたのか、一瞬分からなかった。 さっきまで感じていた「安心感」は、 一瞬でどこかへ吹き飛ばされる。 少年少女は、 大きな荷物を軽々と抱え直し、 甲板の階段を降りていこうとする。 グラニは、その背中を呆然と見つめ—— 気づいたら、追いかけていた。 ◆初めての殴り合い(にもならない) 「ちょっと待てよ!」 甲板を降りて、桟橋へ向かう途中。 グラニは、荷物を抱えた少年少女の前に回り込んだ。 「……あ?」 少年が足を止める。 近くで見ると、 グラニと同い年か、少し上くらいだろうか。 だが、その目には明らかに「戦場」を知っている硬さがあった。 「誰が田舎のガキだって!?」 グラニは、思わず叫ぶ。 「よそ者が、勝手なこと言うなよ!」 少女が、ふっと笑う。 「図星だった?」 「お前らこそ、島のこと何も知らないくせに——」 言い終わる前に、 少年はため息混じりに言った。 「邪魔だ」 次の瞬間、 少年の肩が、グラニの胸にドンとぶつかった。 荷物を抱えたままなのに、 その一撃は想像以上に重い。 「っ……!」 グラニの体は、たたらを踏みながら後ろへ下がる。 「調子に乗んなよ」 少年は吐き捨てるように言い、 再び歩き出そうとする。 グラニの頭の中で、 何かがキレた。 「——調子に乗んな!!」 叫びながら、 グラニは拳を振り上げて飛びかかった。 生まれて初めて、 誰かを本気で殴ろうとした瞬間。 だが—— 「遅っ」 少女が、荷物を片手で持ち替えながら、 軽く身体をひねった。 グラニの拳が空を切る。 逆に、少女の足がグラニの足を払った。 「うわっ——!」 バランスを崩し、 グラニはその場に派手に転んだ。 桟橋の板の冷たさが、手のひらに伝わる。 「ザコが」 しゃがみ込んだ少年の顔が、すぐ目の前に迫る。 「調子に乗んな」 低く、冷たい声。 その言葉は、さっきの「田舎のガキ」よりも深く刺さった。 グラニは、言い返したかった。 でも、声が出なかった。 ただ、悔しさと恥ずかしさで、 喉がきゅっと締め付けられる。 ◆「奴隷」という言葉 「おい、何してる!」 怒鳴り声が飛んだのは、その時だった。 数人の兵士が駆け寄ってくる。 その後ろには——顔色を変えた父、バンの姿も。 「パイル! ナッド!」 兵士のひとりが、少年少女の名を呼ぶ。 「貴様ら、“奴隷”の分際で何をしている!」 兵士の足が、少年の腹を蹴り上げた。 「っ……!」 少年——パイルは、荷物を落とさないようにしながらも、 膝をつく。 少女——ナッドも、容赦なく肩を蹴られた。 「ひっ……」 グラニは、その光景に息を呑んだ。 (奴隷……?) 頭の中で、その言葉が何度もこだまする。 兵士は、怒鳴りながら二人を睨みつけた。 「島民であり協力者である少年に手を出すとは、どういうつもりだ!」 「……申し訳、ありません」 パイルが苦しそうに答える。 ナッドは唇を噛みしめ、 何も言わない。 その横で—— バンがグラニのところへ駆け寄り、 その隣に膝をついた。 「大丈夫か、グラニ」 「……お父、さん……」 声を出そうとした瞬間、 バンはグラニの頭をぐっと押さえつけた。 そして、そのまま地面に向かって頭を下げる。 「申し訳ございません!」 バンの声が、港中に響いた。 「息子が、無礼を働いたようです。 どうか、ご容赦ください!」 グラニの額は、地面に押しつけられている。 視界には、桟橋の板しか見えない。 (僕……謝られるようなこと、したのか……?) 兵士は、しばらく迷うように沈黙し——やがてため息をついた。 「こちらこそ、申し訳ない。 “奴隷”が島民に害を与えてしまった」 その声は、さっきパイルたちを怒鳴った時よりも、 どこか柔らかかった。 「奴隷には厳しくしておく。 そちらの少年には、怪我がないかだけ確認してくれ」 そう言って、 兵士たちはパイルとナッドを引き立てていった。 周囲で見ていた島民たちは、 ひそひそと小さな噂話をしながらも、 特に騒ぎ立てることはなかった。 ——双極島において、 挑戦者や大陸の者たちが多少荒れるのは、 珍しいことではないからだ。 ◆謹慎と、見えない軍船 その日の午後。 グラニは、家で謹慎を言い渡された。 「お前は悪くないよ」 母イールは、そう言ってくれた。 「でも、軍の人たちと揉めたのは事実だ。 今は大人たちに任せて、家でおとなしくしてな」 父バンは、軍から依頼された補給の話を聞き出し、 きちんと引き継いでくれた。 「仕事のことは任せろ。 グラニがやった分も、ちゃんと話しておく」 父がそう言ってくれたことだけが、 悔しさでぐちゃぐちゃになりそうな心を、 かろうじて支えてくれていた。 家の窓から、 遠くの港が見える。 停泊している軍船の大きな影。 甲板の上を動く小さな影。 グラニは、そこをじっと見つめていた。 (悔しい……) 胸の中が、じりじりと焼けるように熱い。 殴りかかって、転ばされて、 「ザコ」と言われた。 何も言い返せなかった。 その上、 相手が「奴隷」だからという理由で、 こっちが謝られ、向こうが蹴飛ばされて終わった。 (なんなんだよ……) 喉の奥が熱くなる。 (あいつら、奴隷って呼ばれて、殴られて…… なのに、俺よりずっと強かった) 「島の子どもなんて弱い」 「挑戦する資格すらない」 ナッドの冷たい声が、 何度も頭の中で再生される。 グラニは、拳をぎゅっと握りしめた。 ◆グリーンの笑顔 窓の外を見つめていると、 城の方から戻ってくる列が見えた。 グリーンと、アルダ軍の軍隊長。 それに付き従う数名の兵士。 (……城の王様と会ってきたんだろうな) 港の手前で、 たまたま視線がぶつかった。 グリーンが、こちらを見た気がしたのだ。 本当に目が合ったかどうかは分からない。 でも、グラニにはそう感じられた。 グリーンは、いつも通りの笑顔だった。 「……っ」 さらに、悔しさがこみ上げてくる。 (僕は…… こんなふうに、家でくすぶってるだけなのに) グラニは、窓から顔を離した。 少しだけ眠った。 夢の中でも、誰かに「弱い」と言われた気がする。 ◆城への招待 夕方。 外から、またざわざわと人の気配が聞こえてきた。 窓から覗くと、 アルダ軍の兵士たちが、 整列して城へ向かって歩いていくのが見えた。 「会食……?」 そう思ったタイミングで、 玄関の扉が開く音がした。 「ただいま」 父バンが帰ってきた。 「お父さん!」 グラニが駆け寄ると、 バンは少しだけ疲れた顔で笑った。 「行くぞ、グラニ」 「え?」 「城にだ。 着替えろ。お前も、イールも」 母イールは、驚きながらも、 すぐに正装を出してくる。 「あんた、まさか——」 「あぁ、アルダ軍との会食に同席することになった」 バンは簡潔に説明した。 どうやら、 あの騒ぎの後、 バンがしっかりと兵士たちに対応し、 補給の話も含めて、丁寧に報告したらしい。 軍隊長はその対応に満足し、 「商人としての働き」を評価した結果、 城での会食に招かれたのだという。 「さすが商人だね……」 イールは、感心したように息をつく。 グラニの胸は、 安堵と緊張でぐちゃぐちゃだった。 (あの少年少女も、来るよな……きっと) 足が、少しだけ震えた。 ◆城の広間 城へ向かう坂道は、 いつもよりも灯りが多かった。 壁にかけられた松明、 高い塔の窓から漏れる光。 双極島の「中心」であることを、 改めて感じさせられる光景だ。 豪華な廊下の装飾。 壁には各大陸からの贈り物らしき武具や布。 グラニは、 目を奪われながらも、 父バンの後ろにぴったりくっついて歩いた。 やがて、大きな扉の前に立つ。 「では、参りましょう」 城の使用人が扉を開けると、 眩しい光と、にぎやかな音が一気に流れ込んできた。 会食の広間。 中央には長いテーブルがいくつも並び、 料理の皿と酒のジョッキが所狭しと置かれている。 一角では、 踊り子たちが音楽に合わせて舞っている。 アルダの兵士たちは、 鎧を少し緩め、 仲間と笑い合いながら飲んでいた。 (すご……) とりあえず、目立たない端の席に行きたい。 だが、そうもいかない。 社交の場だ。 まずは挨拶が基本。 父バンは、 王と官僚、そして軍隊長たちの前へと進み出る。 グラニは、 父の背中に半分隠れるようにしてついていった。 王とその側近たちへの挨拶は、 丁寧に、滞りなく終わった。 問題は—— アルダ軍の軍隊長だ。 (怒ってないかな……) さっきの一件が、 頭から離れない。 ところが—— 「おぉ、お前があの“商人の息子”か!」 軍隊長は大喜びでグラニを迎えた。 「先ほどの件は聞いた。 “奴隷”が余計なことをしたそうだな」 「い、いえ……」 グラニは慌てて頭を下げる。 「本当に申し訳ございませんでした!」 父バンも、 グラニと一緒に深く礼をした。 だが軍隊長は、 それを片手で制した。 「いい。あれは“奴隷”が悪い」 軍隊長の声ははっきりしていた。 「むしろ、こちらとしては謝らねばならん。 我が軍の“使い”が、 島の協力者に手を出したのだからな」 軍隊長は、 グラニを真正面から見た。 「聞けば、お前は我々の補給の手配を、 見事にこなしたそうじゃないか」 「え……」 グラニは目を瞬かせる。 (こなしたも何も……途中で、お父さんに任せちゃったのに) どうやら、 父バンの報告と、 周囲の兵士たちの証言が、 うまい具合にグラニの手柄として伝わったらしい。 軍隊長は続ける。 「商人として優秀な上に、 我が軍と揉めても、最後にはちゃんと筋を通した。 見どころがある」 (揉めたの、そっちの奴隷なんだけど……) グラニは心の中でツッコミを入れつつも、 口には出せない。 「いずれ、何か“褒美”を取らせよう」 軍隊長は、 そうはっきりと宣言した。 グラニは慌てて言う。 「あ、あのっ……! 褒美は、その……」 「考えておきます」 父バンが、すかさず言葉を挟んだ。 「息子もまだ子どもですので、 身に余るものは恐れ多く……」 軍隊長は、 おもしろそうに笑った。 「ふん。楽しみにしておけ」 グラニは、 「褒美」という言葉が、 どうにも落ち着かない気持ちで胸に残った。 (軍と揉めたのに、“褒美”…… 奴隷と揉めたから、なのか……) 子どもなりに、 世界の仕組みみたいなものが、 ぼんやりと見えてくる。 それは、大人たちの会話だけを聞いていたのでは、 きっと分からなかった感覚だ。 ◆訓練する者たち 会食は、 その後もにぎやかに続いた。 酒の匂い。 肉の焼ける音。 笑い声と歌声。 グラニは、 なるべく目立たないように、 端の席で小さくなっていた。 (パイルとナッド…… ここには、いない……?) 辺りをこっそり見回しても、 あの少年少女の姿はなかった。 少しだけ、ほっとする。 同時に、少しだけ、物足りなさを感じる自分に気づく。 会がひと段落した頃、 父バンと母イールと共に、 城を後にすることになった。 夜風が、 会食の熱気を冷ましてくれる。 「すごかったねぇ……」 イールは、 城の中の華やかな光景を思い返しているようだ。 「料理も、踊りも、 あれじゃあ大陸の偉い人たちも喜ぶわけだ」 バンも頷く。 グラニは、 ぼんやりとした頭で、 ただ二人の話を聞いていた。 坂を下りかけたとき、 母がふと足を止めた。 「あれ……?」 視線の先には、 城の裏手にある広場が見えた。 そこには、 月明かりの下で動く影がいくつもあった。 「アルダの兵士たちだな」 バンが言う。 会食で酔い潰れている兵士もいれば、 その裏で、黙々と訓練を続けている者たちもいる。 素振り。 走り込み。 体幹を鍛えるような動き。 イールは、感心したように言った。 「ご飯食べてからも、まだ訓練するんだ……」 「さすが、軍事大陸の兵士だ」 バンの声にも、 少し尊敬の色が混ざっていた。 グラニは、 広場の片隅に目をこらした。 そこだけ、 動きが違う影が二つ。 兵士の列から少し離れた場所で、 誰かがしごかれている。 (あれ……) 目をこすって、見直す。 月明かりに浮かんだ顔。 ——パイル。 ——ナッド。 昼間、桟橋でグラニを笑い飛ばした少年少女が、 今は兵士たちに怒鳴られながら、 地面に手をついて腕立て伏せをしていた。 息が上がっているのに、 二人とも動きを止めない。 「もっと腕を伸ばせ!」 「声を出せ!」 「それでも“使い”か!」 怒号が飛ぶたびに、 二人の身体はさらに限界まで動かされる。 グラニは、その光景から目を離せなかった。 (……) 胸の中の何かが、 音を立てて揺れた気がした。 悔しさ。 戸惑い。 そして、ほんの少しの—— (すご……) 言葉にできない感情。 その夜。 布団に入っても、 なかなか眠気はやってこなかった。 グラニの頭の中には、 アルダの軍船、 軍隊長の目、 パイルとナッドの笑い声、 「奴隷」という言葉、 そして、 月明かりの下で黙々と腕立てをする二人の姿が、 何度も何度も浮かんでは消えていった。 (島の子どもなんて弱い) (挑戦する資格すらない) ——その言葉が、 心の奥に、重く沈んでいく。 そして、 まだ誰も知らない 「グラニ・レイートの挑戦」は、 静かに、少しずつ、 形を取り始めていた。