第3話 「軍隊長の褒美」 ◆いやでも朝は来る ——朝なんて来なきゃいいのに。 そう思いながらも、 グラニは、結局いつもの時間に目を覚ました。 昨日の夜、なかなか眠れなかったせいで、 身体は重い。頭の中もどんよりしている。 パイルとナッドの顔。 「田舎のガキ」 「ザコが」 月明かりの下で黙々と腕立てをしていた姿。 ぜんぶまとめて、胸のあたりに重しみたいに乗っかっていた。 (……サボってもよかったけど) 港の仕事は、 グラニにとって「いつもの日常」だ。 サボれば楽かもしれない。 でも、そうしたら余計に落ち込みそうな気がした。 「……行くか」 布団をはねのけて起き上がり、 顔を洗い、簡単に朝ごはんを口に押し込む。 家を出ると、潮の匂いの混じった朝の空気が、 まだ重たい頭を少しだけすっきりさせてくれた。 坂道を下りていくと、 港の音がいつものように広がっていく。 波、カモメ、船の軋む音。 人の声。 グラニは、 いつもの癖で、港の受付を目指した。 ◆水色のゼリー 受付カウンターのところでは、 グリーンが朝の支度をしていた。 看板を立て、 帳面をめくり、 「本日のおすすめコース」と書かれた紙をぺちぺちと伸ばしている。 グラニは、不機嫌な顔のまま近づき、 何も言わずに受付横の椅子にどさっと座った。 「おー、おはようさん」 グリーンは、ちらりと視線を向ける。 「昨日は城での宴、どうだった〜?」 「……別に」 グラニは、短くそう答えた。 本当は、すごかった。 料理も、踊りも、兵士たちの雰囲気も。 でも、口に出したくなかった。 グリーンは、そんな様子を見て、 ニヤリと口角を上げる。 「城のシェフのごはん、ほんっと旨いよなぁ! 特に、あのしょっぱい肉! 最高だ! で? 何が一番うまかった!?」 とにかく元気よく畳みかけてくる。 グラニは、ちょっとだけ視線をそらしながら、 小さな声で答えた。 「……水色のゼリー」 ほんのり甘くて、 冷たくて、 口の中でふるふる揺れる不思議な感触。 一番印象に残っていたのは、それだった。 グリーンは、一拍置いてから—— 「がっはっはっはっはっ!!」 腹の底から、盛大に笑い出した。 「ガキだなぁ〜お前!! がっはっはっはっ!!」 「なんだよっ……」 グラニはむすっとしながら、 椅子の上で膝を抱えるみたいに座り直す。 グリーンは、笑いながらわざとらしく言い直した。 「まぁ、おいしいよな! あの“金色のゼリー”!」 「水色だよ!」 「金の気配しかしなかったけどな〜〜」 ちゃっかり「金」の話を混ぜてくるあたり、 いつものグリーンだ。 少しだけ、 グラニの頬がゆるむ。 ◆「運が悪い」 グリーンは、 笑いを収めると、ふと真顔になった。 「で? 昨日やられたんだろ?」 「……何が」 「アルダの兵士になぁ〜!」 わざとらしく声を大きくする。 グラニは、 その言葉で一気に気持ちが沈み、 視線を落とした。 「……うるせ」 短くそう返すと、 グリーンは逆に楽しそうに目を細めた。 「喧嘩売って負けるとかさ〜。 女の子だったから、ちょっと手加減したんだろ? かわいいとこあるじゃん、お前」 「ち、違うって!」 グラニは、思わず声を荒げた。 「マジで強かったんだよ! 本気で殴りにいったのに、 一瞬でひっくり返されたし……」 言ってから、自分でその光景を思い出して、 さらに悔しくなる。 「……」 そこで、ふと気づいた。 受付カウンターの横に、 妙に存在感のある“影”が立っている。 (……うわ) グラニは固まった。 そこには、 アルダ軍の軍隊長が、 まるで最初からいたみたいに自然に立っていた。 軽く高いところを走ってきたのか、 額にはうっすら汗がにじんでいる。 グリーンは—— さっきから来ていたのを知っていて、 わざと煽っていたのだと、 グラニはその顔を見て悟った。 「……運が悪い」 グラニは、小さくそう呟くしかなかった。 ◆奴隷の価値 軍隊長は、 グラニをじっと見下ろした。 「おい、“商人”。 名はなんと言ったか」 「……グラニ」 グラニは、目を合わせたくなくて、 視線を少し横に逸らしたまま答える。 「グラニ、か」 軍隊長は、短く名前をなぞるように言い、続けた。 「聞いているぞ。 昨日は、うちの“使い”の少年たちに、 軽くあしらわれたと」 淡々とした口調だったが、 その一言で、胸の奥がチクリと痛む。 「悔しいだろう」 問われても、 グラニは何も言えなかった。 ただ、唇を噛み、 拳を握り、 視線を落とす。 軍隊長は、少しだけ空を見上げてから言った。 「彼らは、“奴隷”の少年少女だ」 その言葉を聞いた瞬間、 グラニはわずかに顔を上げる。 「この島では珍しいかもしれんが、 アルダや他の大陸には、それなりにいる」 アルダ大陸。 「強さ」が価値になる軍事大陸。 そこで生まれた“使いの子ども”たち。 「奴隷の売買を生業にしている国もある。 金になるし、戦力にもなる」 軍隊長の声は、事実を述べているだけのようだった。 そこに同情も、迷いも混ざっていない。 「奴隷であっても、“戦える価値”を示せば、 生きる場所ができる」 「……」 グラニは、黙ったままだった。 (生きる場所……) パイルとナッドの顔が浮かぶ。 蹴られても黙って耐える姿。 それでも、夜には必死で訓練していた姿。 軍隊長は続ける。 「だから、あいつらは “その辺の子ども”より、よほど戦えるように鍛えられている」 一拍置いてから、 はっきりと言った。 「——その辺の子どもとは、価値が違う」 その言葉は、鋭く、真っすぐだった。 グリーンが、そこで口を挟む。 「そうだよ、グラニ。 負けても仕方なかったんだよ〜」 慰めるような、軽い声。 でも、それはグラニの胸には、あまり響かなかった。 ◆「男なら負けたままとはいかない」 軍隊長は、鼻でフッと笑った。 「ふん。まぁ、“普通の商人”は負けても仕方ないな」 普通の——商人。 グラニの胸に、 その言葉がじわりと広がる。 「だがな、グラニ」 軍隊長は、 少しだけ身をかがめて、 グラニの目線に近づいた。 「男なら、“負けたまま”とはいかないだろう」 真正面から目を見られ、 グラニは、涙目のまま睨み返した。 「……」 本当は、怖い。 悔しい。 もう関わりたくない気持ちもある。 でも—— 「昨日の“褒美”をやろう」 軍隊長は、そう告げた。 「うちの“使い”が二人、迷惑をかけた」 「……」 その“迷惑”の内容は、 グラニからすればむしろ自分のほうがやられた側なのだが—— 軍隊長の言葉を遮ることはできなかった。 「だから、二回“褒美”をやる」 「二回……?」 グラニは、思わず顔を上げてしまう。 軍隊長は、はっきりと言った。 「私が二回、“稽古”をつけてやろう」 「……え?」 「軍人でもない、ただの商人の子どもに、 一国の軍隊長が直々に稽古をつける。 これは軍でも滅多にない“褒美”だぞ」 ◆グリーンの追加条件 あまりに唐突で、 グラニは戸惑いしかなかった。 (稽古……? 軍隊長に……?) 隣でグリーンが、ぱぁっと顔を輝かせる。 「いいじゃね〜か〜グラニ〜! すっごい経験だぞ!」 軍隊長の肩を軽く叩きながら、 さらに言葉を重ねる。 「一国の軍隊長が直接稽古をつけてくれる! しかも二回も! それに——」 そこで、グリーンは 軍隊長がまだ何も言っていないことを、 さも“約束されている条件”みたいに付け加えた。 「時間に縛られず、グラニのためだけに“独占”できる!」 「……は?」 さすがの軍隊長も目を丸くして、 グリーンの顔を見た。 グラニも、 「え、そんなの言ってた?」と 目をパチパチさせる。 グリーンは、 なぜか身体を左右にゆらしながら、ニタニタ笑っている。 「ね? 軍隊長殿?」 視線が突き刺さる。 軍隊長は、 ほんの一瞬だけ考えるように黙り—— 諦めたように息を吐いた。 ◆「景色は変わる」 グラニは、 胸の中でぐるぐると考えていた。 (嘘じゃない? 本当に、強くなれるのか?) 唇を噛み、 涙で少し赤くなった目で、 軍隊長を見上げる。 「……嘘じゃない? 強くなれる?」 その問いかけに、 軍隊長はまっすぐに答えた。 「“強くなるかどうか”は、お前次第だ」 一度言葉を切り、 続ける。 「だが—— 今より、“見える景色”は変わる」 静かに、しかし確信を持った声だった。 「何も知らないまま負けたのと、 知った上で、もう一度立つのとでは、 まるで違う」 グリーンは、その横で 「お〜〜」と茶化すように声を上げつつ、 やっぱりニヤニヤしている。 「ほらなグラニ〜。 今の一言、タダで聞けたのラッキーだぞ? 普通なら、“名言料”取るとこだぞ?」 「取らねぇ」 軍隊長が即座にツッコんだ。 そのやり取りを見ていたら、 さっきまで胸の中を埋めていた重さが、 少しだけ軽くなった気がした。 (……変われるかもしれない) ほんの少しだけ、 そんな考えが浮かぶ。 ◆決意 グラニは、 握りしめていた拳をぎゅっと強くした。 「……やる」 小さな声で、最初は自分に言うように。 「やるよ」 少し大きな声で、軍隊長に向かって。 そして—— 「やりたい!」 はっきりと。 軍隊長は、満足そうに頷いた。 「よし」 背筋を伸ばし、 改めて告げる。 「では、“今日”が一回目だ」 「え、今日!?」 グラニは、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。 軍隊長は続ける。 「後で手が空いたら、軍船に来い。 準備しておく」 「わ、分かった!」 グラニの返事は、 さっきまでの湿っぽさが嘘みたいに、 少しだけ明るかった。 「うぉお……どうしよう……!」 受付の椅子から立ち上がり、 グラニは港の方へ数歩走り出して—— すぐに踵を返す。 「家、帰って着替えなきゃ!」 「服はなんでもいいぞ」 軍隊長の冷静なツッコミも、 今のグラニの耳にはあまり届いていなかった。 「じゃ、じゃあ、後で!」 そう叫ぶと、 グラニは全力で坂道を駆け上がっていった。 ◆大人たちの会話 グラニの背中が見えなくなってから、 軍隊長は小さく息を吐いた。 「……明日から“挑戦”の予定だったんだがな」 「まぁまぁ〜」 グリーンは、 肩をすくめながら笑う。 「軍隊長殿も昨日、うちの酒場やら“ドロップライト”やらで た〜っぷり呑みましたし? “お店代”くらい、払ってもらわないと〜?」 「お前が飲ませたんだろうが」 軍隊長は苦笑する。 「しかし……」 少しだけ真面目な顔に戻る。 「どのみち、兵士たちの士気も緩んでいるところだ。 今日の様子を見る限り、明日“挑戦”には出せん」 城での会食。 その後も夜遅くまで続いた飲み会。 それでも訓練している者もいるが、 全体を見れば、まだ“戦場の顔”には戻っていない。 「一日、調整に回すのが妥当だ」 「なら、よかった!」 グリーンは嬉しそうに手を叩いた。 「グラニにも“初めての稽古”、 アルダの兵たちにも“調整日”、 うちの店にも“売上”。 全員ハッピーじゃないですか〜」 「自分の利益を混ぜるな」 言いつつも、 軍隊長の声には、 どこか楽しそうな響きがあった。 「……お前、上手だな」 「お褒めにあずかり光栄です〜」 港の朝の喧騒の中で、 受付のおじさんと軍隊長は、 まるで昔からの知り合いみたいに、 自然に隣り合って笑っていた。 ◆家へ 一方その頃—— グラニは、 全力で坂道を駆け上がっていた。 「うわぁぁぁ、どうしようどうしよう……!」 頭の中はパニックだ。 (軍隊長と稽古!? 何するんだろ!? 殴られたり、蹴られたり、折られたり……いやいやいや!!) でも—— (今より、景色は変わる) さっき軍隊長が言った言葉が、 何度も頭の中で繰り返される。 家の扉を勢いよく開けると、 母イールが驚いた顔で振り向いた。 「あら、どうしたのグラニ。 朝からそんなに走って」 「お母さん! 着替える!」 「どこ行くの?」 「軍船!」 「……は?」 事情を一通り聞かされたイールは、 ぽかんと口を開け、それから笑った。 「アンタ、本当にいろんなことに巻き込まれるねぇ……」 「巻き込まれてんじゃない! 自分で行くんだよ!」 そう言い返しながらも、 グラニの声には、 不安とワクワクが半々に混ざっていた。 パイルとナッドに笑われて、 あしらわれて、 努力を見せつけられて—— その全部が、 「悔しい」の一言に変わる。 (負けたままは、やだ) だからこそ、 軍隊長の“褒美”を掴もうとしている。 着替えを済ませ、 靴を履き直しながら、 グラニは心の中で何度も自分に言い聞かせた。 (今日、変わるかもしれない) 今までと違う景色。 自分の知らない「戦う世界」。 怖い。 でも——見てみたい。 「行ってくる!」 そう叫んで、 グラニは再び家を飛び出した。 その先に待っているのがどんな“稽古”なのか、 このときの彼はまだ知らない。 ただひとつだけ確かなのは—— 彼の中で、 「逃げる」よりも「挑む」気持ちが ほんの少しだけ大きくなった、ということだった。