「三つの段階」 ◆第一段階——動かない 広場の中央に、グラニは立っていた。 軍隊長が、目の前にいる。 腕を組んで、動かない。 「まず、動くな」 「……え?」 「動くな。立っていろ」 それだけ言って、軍隊長は黙った。 グラニは困惑した。 稽古というから、何か教わるのかと思っていた。 剣の振り方とか、構え方とか。 でも、軍隊長は何もしない。 ただ、グラニを見ている。 時間が過ぎる。 太陽が少し動いた。 影が伸びた。 足が痛くなってきた。 じっとしているのが、こんなに辛いとは思わなかった。 (……何のため?) 分からない。 でも、軍隊長は動かない。 だから、グラニも動かない。 汗が額を流れる。 拭きたい。 でも、動いていいのか分からない。 「……拭いていいですか」 「ダメだ」 即答だった。 グラニは、唇を噛んだ。 (……意味が分からない) でも、やめろとは言われていない。 立っていろ、と言われた。 だから、立っている。 足が震え始めた。 背中が硬くなる。 呼吸が浅くなる。 ——そのとき。 「止め」 軍隊長の声で、グラニは膝から崩れ落ちそうになった。 「座れ」 グラニは、その場にへたり込んだ。 息が荒い。 何もしていないのに、全身が疲れている。 「……これが、稽古?」 「ああ」 軍隊長は、グラニの隣に腰を下ろした。 「戦場では、待つ時間がある。  何時間も、何日も、ただ待つことがある」 「……何を?」 「敵が動くのを。  味方が来るのを。  天気が変わるのを」 軍隊長は、遠くを見た。 「動けないときに動こうとすると、死ぬ。  待てないやつは、真っ先に死ぬ」 グラニは、黙って聞いていた。 「お前は、動かずにいられた。  それが、最初の一歩だ」 「……僕、足が震えてた」 「それでいい。  震えても、動かなかった。  それが大事だ」 軍隊長は、立ち上がった。 「少し休め。次に行く」 ◆自主練・仕事の合間に その夜、グラニは家で同じことをやってみた。 立つ。 動かない。 母のイールが不思議そうに見ていたが、何も言わなかった。 父のバンは、ちらっと見て、うなずいた。 三分もしないうちに、足が痛くなる。 (……軍隊長は、何時間もできるんだろうな) そう思うと、悔しかった。 次の日も、仕事の合間に、少しだけ練習した。 荷物を運び終えたあと、壁に寄りかからずに立つ。 待っている間も、足を揃えて、動かない。 誰も見ていない。 でも、自分で決めたことだから、やる。 五分。 十分。 少しずつ、長くなっていった。 ◆第二段階——集中 二日後、再び広場に呼ばれた。 「次は、目を閉じろ」 グラニは言われた通り、目を閉じた。 「周りの音を聞け。  風の音。波の音。人の声。  全部、聞け」 目を閉じると、世界が変わった。 いつも聞いている港の音が、全然違って聞こえる。 波のリズム。カモメの声。ロープがきしむ音。 遠くで誰かが笑っている。 「その中で、一番近い音を探せ」 グラニは耳を澄ませた。 ——風が、頬を撫でる音。 ——自分の呼吸。 ——心臓の音。 「俺の足音が聞こえるか?」 軍隊長の声。 その直後、かすかな音がした。 砂を踏む音。右から。 「……右」 「正解。次」 また、音がした。左後ろ。 「……左の、後ろ」 「いい。続けろ」 何度も繰り返した。 軍隊長は、グラニの周りを歩き回る。 グラニは、目を閉じたまま、その位置を当てる。 最初は半分も当たらなかった。 でも、だんだん分かるようになってきた。 「目を開けろ」 軍隊長が、目の前に立っていた。 「戦場では、目が使えないことがある。  煙、砂、夜。  そのとき頼れるのは、耳だ」 「……聞こえなかったら?」 「死ぬ」 あっさり言われた。 グラニは、背筋が冷たくなった。 「だから、練習する。  何度も。何度も。  体が覚えるまで」 軍隊長は、少しだけ目を細めた。 「お前は筋がいい。  港で働いているだけあって、音には敏感だ」 「……そう、なのかな」 「荷物を運ぶとき、誰かとぶつからないだろう?  それは、周りの音を聞いているからだ」 グラニは、考えたこともなかった。 でも、言われてみれば、確かにそうかもしれない。 「その感覚を、もっと鋭くしろ。  仕事中も、意識しろ」 「……分かった」 ◆自主練・港の中で 次の日から、グラニは港での仕事を少し変えた。 荷物を運ぶとき、わざと目を細める。 周りの音だけで、人の位置を感じ取ろうとする。 最初は何度もぶつかりそうになった。 「おい、グラニ! どこ見てんだ!」 「ごめん!」 でも、続けた。 三日目には、ぶつからなくなった。 五日目には、誰がどこにいるか、音だけで分かるようになってきた。 グリーンが、それに気づいた。 「お〜? グラニ、最近なんか違うな〜?」 「……そう?」 「なんか、動きがスムーズになったっつうか〜」 グリーンは、ニヤニヤしながら言った。 「稽古、効いてるんじゃねぇの〜?」 グラニは、少しだけ嬉しかった。 ◆第三段階——剣の基礎 一週間後。 広場には、木剣が二本置いてあった。 軍隊長が、一本を取り上げた。 「今日から、剣を教える」 グラニの心臓が跳ねた。 ついに。 本当の稽古だ。 「取れ」 グラニは、木剣を手に取った。 思ったより重い。 「持ち方から教える。  それが一番大事だ」 軍隊長は、自分の木剣を構えた。 「見ろ。親指と人差し指で輪を作る。  残りの三本で軽く握る。  ここを力点にすると、剣が安定する」 グラニは、真似をした。 「違う。もっと下。  柄の端を、小指で包め」 何度も直される。 「手首を固めるな。  柔らかく、でも芯は通せ」 言葉の意味が、最初は分からなかった。 でも、何度もやっているうちに、少しずつ感覚が掴めてきた。 「構えはこうだ」 軍隊長が、基本の構えを見せた。 足は肩幅より少し広く。 前足の爪先は前へ、後ろ足は斜め四十五度。 腰を落とす。背筋は伸ばす。 剣は、体の中心線に。 切っ先は相手の喉を指す。 「なぜこの構えか、分かるか?」 「……分からない」 「守りやすく、攻めやすい。  どこに打たれても、最小限の動きで防げる。  どこへも打っていける」 軍隊長は、構えたまま言った。 「構えとは、準備だ。  何が来ても対応できる状態を、常に作っておく。  それが、構え」 ◆実践指導 ちょうどそのとき、兵士が水を持ってきた。 「軍隊長、水をお持ちしました」 若い兵士だった。 グラニより少し年上に見える。 軍隊長は水を受け取り、一口飲んでから言った。 「ちょうどいい。手伝え」 「は……はい?」 兵士は困惑していたが、すぐに姿勢を正した。 「木剣を取れ」 兵士が木剣を構える。 動きに慣れがあった。今までにも何度もやってきたのだろう。 「グラニ、見ていろ。  これが実際の打ち合いだ」 軍隊長が構えた。 「まず、上段からの振り下ろし」 兵士が、木剣を振り下ろす。 軍隊長は、小さく動いた。 剣で受けるのではなく、半歩動いて、線をずらす。 バシッ! 兵士の剣が空を切った瞬間、軍隊長の剣が兵士の肩に当たっていた。 「分かったか?」 グラニは、首を振った。 「速すぎて……」 「もう一度やる。よく見ろ」 同じ動作が、ゆっくり繰り返された。 「相手が振り下ろすとき、力は下へ向かう。  その線から外れれば、当たらない。  そして、相手が止まれない瞬間を狙う」 「止まれない……」 「剣を振ったあと、一瞬だけ動けない時間がある。  そこを打つ。それが基本だ」 軍隊長は、兵士に頷いた。 「次は横からだ」 今度は横薙ぎ。 軍隊長は、しゃがんで避けた。 「下から来たら、跳ぶか、下がる」 突き。 軍隊長は、体をひねって線をずらした。 「突きは最も速い。だが、最も読みやすい。  体の中心を外せば、当たらない」 グラニは、食い入るように見ていた。 軍隊長の動きは、派手じゃない。 最小限。でも、確実。 一歩も無駄がない。 ◆戦場の話 兵士が下がったあと、軍隊長はグラニの横に座った。 「少し休め」 グラニも座った。 頭の中が、情報でいっぱいだった。 軍隊長は、遠くを見ながら言った。 「実戦では、今見たようには動けない」 「……え?」 「敵は一人じゃない。  地面は平らじゃない。  天気も悪い。疲れている。怪我している。  そういう中で戦う」 グラニは、黙って聞いていた。 「俺が初めて戦場に出たのは、お前より少し上だった。  震えが止まらなかった。  剣を持つ手が、汗で滑った」 軍隊長の声は、淡々としていた。 「最初の敵は、覚えていない。  気づいたら、血まみれで立っていた。  自分のか、相手のか、分からなかった」 「……怖くなかった?」 「怖かった。  今でも、怖い」 グラニは、驚いた。 こんなに強い人が、怖いと言っている。 「怖いから、備える。  練習する。  一つでも多く、体に染み込ませる」 軍隊長は、グラニを見た。 「怖いのは悪いことじゃない。  怖いから、慎重になれる。  怖いから、油断しない」 「……でも、怖すぎたら動けない」 「そうだ。  だから、練習する。  体が勝手に動くまで、何度もやる。  頭が白くなっても、体が覚えていれば、生き残れる」 ◆世界の広さ 軍隊長は、立ち上がった。 「世界は広い」 「……うん」 「この島の外には、もっと強いやつがいる。  俺より強いやつも、いくらでもいる」 グラニは、想像しようとした。 軍隊長より強い人。 あの鳥のモンスターを追い払った人より、強い人。 「大陸では、子供でも剣を持つ。  お前くらいの年で、戦場に立つやつもいる」 パイルとナッドの顔が浮かんだ。 「アルダだけじゃない。  ファーニアには、遠くから人を殺せる魔法使いがいる。  イグナには、炎を纏って戦う戦士がいる。  バルモラには、金で動く暗殺者がいる」 「……そんなに」 「そんなにだ。  だから、基礎が大事だ」 軍隊長は、木剣を構えた。 「派手な技は、あとでいい。  まず、正しく立つ。正しく持つ。正しく振る。  それができなければ、何をやっても死ぬ」 ◆宿題 稽古の終わり、軍隊長はグラニに言った。 「宿題を出す」 「宿題……?」 「毎日、三つやれ」 一つ目。 立つ練習。十分以上、動かずに立つ。 二つ目。 目を閉じて、周りの音を聞く。五分以上。 三つ目。 木剣を持って、構える。百回。 「できるか?」 「……やる」 グラニは、頷いた。 軍隊長は、少しだけ笑った。 「いい返事だ」 ◆帰り道 夕日が、港を赤く染めていた。 グラニは、足取り軽く歩いていた。 体は疲れている。でも、心は軽い。 今日、学んだことがたくさんある。 立つこと。 聞くこと。 構えること。 剣の持ち方。 打ち合いの基本。 頭の中で、何度も復習する。 グリーンが、受付から手を振った。 「お〜! グラニ! どうだった〜?」 「……すごかった」 「そりゃそうだろ〜。軍隊長だからな〜」 グリーンは、ニヤニヤしながら言った。 「で、疲れた〜?」 「疲れた。でも……」 グラニは、少し考えてから言った。 「……もっとやりたい」 グリーンは、目を丸くした。 そして、大きく笑った。 「あっはは! いいねぇ〜!  その調子だ、だんなぁ〜!」 ◆夜・自主練 家に帰って、夕食を食べたあと。 グラニは、裏庭に出た。 木の棒を拾って、剣の代わりにする。 構える。 一回、二回、三回…… 百回なんて、すぐ終わると思っていた。 でも、五十回を超えたあたりで、腕が重くなってきた。 (……まだ半分) 歯を食いしばって、続ける。 八十回。 九十回。 百回。 最後の一振りを終えたとき、腕が震えていた。 でも、やり切った。 グラニは、空を見上げた。 星が、たくさん見えた。 (……明日も、やる) そう決めて、家に入った。 ◆兵士たちの噂 翌日の港。 兵士たちが、ひそひそ話をしているのが聞こえた。 「あの島の子供、軍隊長に稽古つけてもらってるらしいぞ」 「マジかよ。あの人が、子供に?」 「よっぽど気に入られたんだな」 「でも見たか? あの子、根性あるぞ」 グラニは、聞こえないふりをした。 でも、少しだけ嬉しかった。 パイルとナッドの姿は、まだ見えない。 あの二人は、きっともっと厳しい訓練をしているはずだ。 (……負けたくない) そう思った瞬間、自分でも驚いた。 前は、ただ羨ましかった。 今は、違う。 負けたくない。 追いつきたい。 できれば、追い越したい。 グラニは、荷物を担いで歩き出した。 今日も仕事がある。 そして、仕事が終わったら、練習がある。 一歩ずつ。 毎日、少しずつ。 (……軍隊長みたいに、なれるかな) 分からない。 でも、やってみたい。 それだけで、足は前に進んだ。