「南への道」 ◆出発の朝 朝日が、港を照らしていた。 いつもの朝とは違う。 アルダ軍が、広場に整列していた。 全員、フル装備。 黒鉄と深紅の鎧が、朝日を反射している。 剣、槍、盾。 誰もが武器を携えていた。 グラニは、少し離れた場所から見ていた。 仕事の手を止めて、じっと見つめる。 軍隊長が、隊列の前に立った。 背筋が伸びている。 いつもより、さらに大きく見えた。 「本日より、南部への進軍を開始する」 低く、重い声。 兵士たちが、一斉に姿勢を正す。 「目標は、南部中間地点。  途中の地形・生態系を記録し、  挑戦者が辿るルートを確認する」 パイルとナッドの姿も見えた。 二人は兵士たちの後方にいる。 表情は見えない。 グリーンが、グラニの横に来た。 「お〜、いよいよだな〜」 「……うん」 「グラニは見送りか〜?」 「……仕事があるから」 「そうか〜。まあ、無事を祈っとけ〜」 軍隊長が、こちらを見た。 一瞬だけ。 グラニは、小さく頭を下げた。 軍隊長は、かすかに頷いた。 「進むぞ」 その言葉で、隊列が動き始めた。 南へ続く道。 港から見える範囲では、まだ穏やかに見える。 緑の丘。青い空。 でも、空気が重かった。 グラニは、彼らの背中が見えなくなるまで、見ていた。 ◆南への道——一時間後 隊列は、順調に進んでいた。 道は、まだ整備されている。 挑戦者たちが何度も通った道だ。 軍隊長は、先頭を歩いていた。 周囲を見回しながら、ゆっくりと進む。 「隊長、このペースなら昼までに第一地点に着きます」 副官が報告する。 「油断するな。  ここから先は、何があるか分からん」 パイルとナッドは、隊列の中ほどにいた。 パイルは、落ち着かない様子でキョロキョロしている。 ナッドは、無表情のまま前を見ていた。 「……なあ」 パイルが、小声で言った。 「なに」 「なんか、空気が変わってない?」 ナッドは、少し考えてから答えた。 「……重くなってる」 二人の会話を、近くの兵士が聞いていた。 「お前ら、黙って歩け」 パイルは口をつぐんだ。 でも、目は周囲を警戒し続けていた。 ◆変わる景色——二時間後 道が、細くなり始めた。 緑だった丘が、茶色くなっていく。 草が減り、岩が増える。 空気が、確かに重くなっていた。 「……暑い」 兵士の一人がつぶやいた。 気温が上がっている。 じわじわと、汗が噴き出す。 軍隊長は、足を止めた。 「小休止。水を飲め」 兵士たちが、水筒を口にする。 パイルは、空を見上げた。 雲がない。 太陽が、容赦なく照りつけている。 「……大陸と、全然違う」 「当たり前でしょ」 ナッドが、冷たく言った。 「ここは島の南部。  武神の力が残ってる場所。  普通じゃないのは、最初から分かってたこと」 「分かってるけど……」 パイルは、言葉を飲み込んだ。 分かっていることと、体で感じることは、違う。 ◆最初の異変——三時間後 地面が、揺れた。 「っ!」 兵士たちが、足を止める。 揺れは、すぐに収まった。 「地震か?」 「いや……違う」 軍隊長が、地面を見た。 岩の隙間から、蒸気が噴き出していた。 シュゥゥゥ…… 熱い。 近づくだけで、肌が焼けそうだ。 「噴気孔だ。避けて進め」 隊列が、蒸気を避けて迂回する。 だが、すぐにまた別の噴気孔が現れた。 そしてまた。 また。 「くそ……こんなにあるのか」 兵士たちの足取りが、鈍くなっていく。 軍隊長は、冷静に指示を出し続けた。 「慌てるな。一つずつ避ければいい」 でも、それは簡単なことではなかった。 噴気孔は予測できない。 突然、足元から蒸気が噴き出すこともある。 「うわっ!」 一人の兵士が、避けきれずに蒸気を浴びた。 「大丈夫か!」 「っ……足が……!」 火傷だ。 軽傷だが、歩くのが辛そうだった。 「衛生兵! 手当てしろ!」 隊列が、また止まる。 パイルは、その様子を見ていた。 (……まだ、入り口なのに) この先に、何があるのか。 想像するだけで、背筋が寒くなった。 ◆最初の敵——四時間後 それは、突然だった。 岩陰から、何かが飛び出してきた。 「敵だ!!」 叫び声と同時に、剣が抜かれる。 トカゲ——いや、違う。 トカゲに似た、二足歩行の生物。 人間の腰ほどの高さ。 でも、動きが速い。 そして、一匹ではなかった。 五匹。 十匹。 二十匹以上。 岩陰から、次々と現れる。 「円陣を組め!!」 軍隊長の声が飛ぶ。 兵士たちが、素早く陣形を整える。 盾を前に、剣を構える。 キィィィィ!! 甲高い鳴き声。 モンスターたちが、一斉に襲いかかる。 ガキィン!! 剣と爪がぶつかる音。 「押し返せ!!」 兵士たちが、必死に戦う。 一匹一匹は、それほど強くない。 訓練された兵士なら、一対一で負けることはない。 だが、数が多い。 そして、こいつらは恐れない。 仲間が倒れても、ひるまない。 次から次へと、襲いかかってくる。 「くそっ! キリがねぇ!」 「落ち着け! 一匹ずつ確実に倒せ!」 軍隊長が、最前線に立った。 剣を振るう。 一閃。 二閃。 三閃。 三匹のモンスターが、同時に倒れた。 「隊長の動きについていけ!」 兵士たちの士気が、少し上がる。 ◆恐怖 パイルとナッドは、隊列の中央で戦っていた。 木剣ではなく、本物の剣。 いつも訓練で使っているものとは違う。 金属の重さが、手に伝わる。 「来た!」 パイルが叫ぶ。 モンスターが、正面から飛びかかってきた。 体が、勝手に動いた。 剣を振る。 手応え。 モンスターが、地面に倒れた。 「……やった」 その瞬間、背後で悲鳴が聞こえた。 振り返ると、兵士の一人が倒れていた。 足を噛まれている。 血が流れている。 「衛生兵!!」 誰かが叫ぶ。 パイルの手が、震え始めた。 (……死ぬ) ここで、死ぬかもしれない。 訓練とは違う。 本物の戦い。 本物の血。 本物の悲鳴。 キィィィ!! また、鳴き声。 パイルは、剣を構え直した。 手が震えている。 足も震えている。 でも、立っていた。 「パイル」 ナッドの声。 「背中、任せた」 短い言葉。 でも、それだけで少し楽になった。 「……分かった」 二人は背中合わせになった。 来い。 何匹でも来い。 まだ、負けない。 ◆軍隊長の力 戦闘は、三十分以上続いた。 モンスターの数は、少しずつ減っていく。 だが、兵士たちの体力も削られていた。 「っ……腕が……」 「休むな! まだ来るぞ!」 そのとき、軍隊長が動いた。 一歩、前に出る。 「下がれ」 低い声。 兵士たちが、反射的に後退する。 軍隊長は、剣を構えた。 違う構え。 今まで見たことがない構え。 剣を低く、体の横に。 モンスターたちが、一斉に飛びかかる。 ——次の瞬間。 軍隊長の姿が、消えた。 いや、消えたように見えた。 それほど速かった。 ザンッ!! 一閃。 五匹のモンスターが、同時に倒れた。 ザンッ!! また一閃。 さらに五匹。 「……っ」 パイルは、息を呑んだ。 ナッドも、目を見開いていた。 これが——本物の強さ。 訓練で見せてくれた動きとは、比べ物にならない。 本気の軍隊長。 本物の戦士の力。 モンスターたちが、動きを止めた。 本能で理解したのだろう。 目の前の人間には、勝てない。 キィ…… 低い鳴き声を残して、モンスターたちは岩陰に消えていった。 ◆戦闘後 静寂が、戻った。 兵士たちが、荒い息をついている。 「負傷者の確認!」 副官が叫ぶ。 報告が次々と上がる。 「第一班、軽傷者三名!」 「第二班、重傷者一名! 足の骨が……!」 「第三班、異常なし!」 軍隊長は、報告を聞きながら頷いた。 「死者なし。まずは良しとする」 「隊長……あの動き、何だったんですか」 若い兵士が、興奮した様子で聞いた。 「アルダ式の剣技だ。  本来は、一対多数を想定した型。  島に来て初めて使った」 「すごかったです……」 「だが、長くは保たん」 軍隊長の声が、重くなった。 「あれは体力を極端に消耗する。  連発はできん。  次に同じ数が来たら、厳しいだろう」 兵士たちの顔が、曇った。 「休憩を取れ。  二十分後、進軍を再開する」 ◆パイルとナッド 岩陰で、パイルとナッドは座っていた。 二人とも、傷はなかった。 でも、疲労が顔に出ている。 「……怖かった」 パイルが、小声で言った。 珍しく、素直な言葉だった。 「私も」 ナッドが、同じく小声で答えた。 「……お前もかよ」 「当たり前でしょ」 ナッドは、自分の手を見た。 まだ、少し震えている。 「訓練と、全然違う。  本当に死ぬかと思った」 「……ああ」 パイルは、空を見上げた。 「でも、軍隊長はすげぇな」 「……うん」 「あんな風になれるのかな、俺たち」 ナッドは、少し考えてから答えた。 「なれなきゃ、死ぬんでしょ」 厳しい言葉。 でも、それが現実だった。 「……そうだな」 パイルは、剣を握り直した。 「生き残る。絶対に」 ナッドは、何も言わなかった。 ただ、小さく頷いた。 ◆進軍再開 二十分後。 隊列が、再び動き始めた。 負傷者は、担架で運ばれている。 重傷の兵士は、意識があったが、顔が青白い。 「第一地点まで、あとどのくらいだ」 「現在のペースで、あと二時間ほどかと」 「……二時間」 軍隊長は、前を見た。 道は、さらに険しくなっていた。 岩肌がむき出しになり、地面の色が赤黒く変わっている。 遠くに、煙が見える。 火山の噴煙か、噴気孔か。 「ここからが、本番だ」 兵士たちの表情が、引き締まる。 「気を抜くな。  さっきのような敵が、また来る可能性がある。  いや——来ると思え」 「はっ!」 隊列が、ゆっくりと進み始めた。 ◆環境の敵 一時間後。 隊列の進行速度は、さらに落ちていた。 原因は、敵だけではなかった。 「……っ、足が……重い……」 兵士の一人が、膝をついた。 「どうした!」 「分かりません……急に……体が……」 他の兵士も、同じ症状を訴え始めた。 「俺も……なんか、動きづらい……」 軍隊長が、周囲を見回した。 「……重力だ」 「重力?」 「この地帯は、重力が不規則に変わる。  今、通常より重くなっている」 噂には聞いていた。 武神の余波による「重圧」。 それが、今まさに隊列を襲っていた。 「全員、荷物を軽くしろ!  不要な装備は捨てていけ!」 悲鳴のような声が上がる。 「でも、隊長! これは……!」 「命と装備、どちらが大事だ!」 兵士たちは、渋々と荷物を減らし始めた。 それでも、重力は容赦なく押し付けてくる。 「くそ……歩くだけで、こんなに疲れるなんて……」 「黙って歩け。息を節約しろ」 軍隊長の言葉に、兵士たちは黙った。 一歩。 また一歩。 ただ、前に進むだけ。 それが、こんなにも辛い。 ◆二度目の襲撃 そして、最悪のタイミングで—— 「敵だ!!」 叫び声が上がった。 今度は、さっきと違う種類だった。 大きな犬のような形。 ただし、毛がなく、皮膚がゴツゴツしている。 目が三つある。 そして——火を吐く。 ゴォォォ!! 炎が、隊列に向かって放たれた。 「散れェ!!」 軍隊長の声。 兵士たちが、慌てて左右に飛ぶ。 だが、重力が狂っている。 普段のように動けない。 「うわぁぁぁ!!」 炎が、一人の兵士を直撃した。 「消せ!! 水だ!!」 パニックが広がる。 軍隊長は、冷静だった。 敵は三匹。 さっきのトカゲより、はるかに強い。 だが、数は少ない。 「俺が引きつける!  残りは、背後から挟め!!」 軍隊長が、正面から突っ込んだ。 犬型モンスターが、炎を吐く。 軍隊長は——炎の中に飛び込んだ。 「隊長!!」 悲鳴のような声。 だが、軍隊長は止まらなかった。 炎を剣で切り裂く——いや、炎の薄い部分を見切って、そこを突破した。 一瞬で、モンスターの懐に入る。 剣が、振り下ろされた。 ザンッ!! 一匹目が、倒れた。 「今だ!! 挟め!!」 兵士たちが、残りの二匹に襲いかかる。 重力のせいで動きが鈍い。 でも、数で押す。 三人がかりで、一匹を抑え込む。 槍が、突き刺さる。 「もう一匹!!」 最後の一匹が、逃げようとした。 パイルが、飛び出した。 「逃がすかよ!!」 重力など、関係なかった。 体が、勝手に動いた。 剣を振り下ろす。 手応え。 モンスターが、倒れた。 「……っ」 パイルは、荒い息をついた。 自分が何をしたのか、よく分かっていなかった。 ただ、体が動いた。 それだけだった。 「……やるじゃない」 ナッドの声が、後ろから聞こえた。 「……ああ」 パイルは、剣を下ろした。 手が、震えていた。 ◆撤退の決断 戦闘後、軍隊長は隊列の状態を確認した。 死者は、出なかった。 だが、重傷者が増えていた。 火傷を負った者が三人。 足を痛めた者が二人。 疲労で動けなくなった者が四人。 「……これ以上は、無理だな」 軍隊長は、決断した。 「撤退する」 「隊長! まだ第一地点に着いていません!」 「分かっている。  だが、これ以上進めば、死者が出る」 軍隊長の声は、重かった。 「我々の目的は、全滅することではない。  生きて帰り、情報を持ち帰る。  それが、今日の仕事だ」 兵士たちは、悔しそうな顔をしていた。 でも、誰も反論しなかった。 「来た道を戻る。  体力のある者は、負傷者を支えろ。  帰るぞ」 ◆帰還 日が傾き始めた頃。 隊列は、港に戻ってきた。 ボロボロだった。 鎧は傷つき、汚れている。 血を流している者もいる。 担架で運ばれている者もいる。 グラニは、仕事の手を止めて見ていた。 軍隊長の姿を探す。 いた。 先頭を歩いている。 怪我はなさそうだった。 でも、顔には疲労が滲んでいた。 「……戻ってきた」 グリーンが、横で言った。 「全員、生きてるな〜。  まずは良かったじゃん〜」 「……うん」 グラニは、隊列を見ていた。 パイルとナッドの姿も見えた。 二人とも、立って歩いている。 でも、表情が違った。 出発前とは、まったく違う顔をしていた。 何かを見てきた顔。 何かを経験してきた顔。 グラニは、胸が締め付けられるような気持ちになった。 (……すごいな) あの二人は、外に出た。 戦った。 生き残った。 自分は——ここにいた。 安全な港で、仕事をしていた。 「グラニ」 グリーンが、声をかけた。 「そんな顔すんな〜」 「……え?」 「お前はお前のペースでいいんだよ〜。  焦っても、いいことねぇぞ〜」 グリーンは、いつもの調子で言った。 でも、目は笑っていなかった。 「……うん」 グラニは、頷いた。 隊列が、広場に戻っていく。 明日から、また稽古がある。 まだ、自分にできることがある。 一歩ずつ。 焦らずに。 でも—— (……いつか、僕も) その思いは、確かに、少しずつ大きくなっていた。