「孤独な道」 ◆南へ、ただ一人 夜明けの光が、山の稜線を越えてきた。 軍隊長は、すでに一時間以上歩いていた。 足音は、自分のものだけ。 呼吸も、自分のものだけ。 周囲には、誰もいない。 ただ、岩と砂と、遠くに見える煙。 (……静かだな) 先日、隊列と歩いた道。 でも、まったく違って見えた。 大勢で歩いているときは、気づかなかった。 この島の空気。 この島の匂い。 この島の——重さ。 一人だと、それがよく分かる。 ◆第一の関門——噴気孔地帯 二時間後。 先日の遠征で、兵士が火傷を負った場所に着いた。 噴気孔地帯。 地面のあちこちから、白い蒸気が噴き出している。 シュゥゥゥ…… 熱い。 近づくだけで、肌がじりじりする。 先日は、隊列全体で迂回した。 時間がかかった。 今日は、一人だ。 軍隊長は、地面を見た。 蒸気が噴き出すパターン。 間隔。 方向。 (……ここだ) 一瞬の判断で、走り出した。 蒸気と蒸気の間を、縫うように進む。 シュゥゥゥ!! すぐ横で、蒸気が噴き出す。 髪の毛が焦げる匂いがした。 止まらない。 走る。跳ぶ。転がる。 三十秒。 噴気孔地帯を、抜けた。 「……ふぅ」 軍隊長は、息を整えた。 先日は、ここを通過するのに三十分かかった。 今回は、三十秒。 (やはり、一人の方が速い) 実感した。 だが、体力の消耗も激しい。 「……休憩は、もう少し先だ」 自分に言い聞かせて、歩き出した。 ◆最初の敵 三時間後。 予想通り、やつらが現れた。 トカゲ型モンスター。 先日の遠征で、隊列を襲ったのと同じ種類だ。 今日は——五匹。 キィィィ!! 鳴き声を上げて、飛びかかってくる。 軍隊長は、剣を抜いた。 一匹目。 正面から来た。 剣を振り下ろす。 一撃で倒れる。 二匹目。 右から来た。 体をひねって避ける。 返す刃で、胴を裂く。 三匹目と四匹目。 同時に来た。 軍隊長は、地面を蹴った。 空中で体を回転させる。 二匹を同時に斬る。 五匹目。 逃げようとした。 「逃がすか」 短剣を投げる。 背中に刺さる。 倒れる。 「……終わりか」 息は、それほど乱れていない。 先日は、二十匹以上を相手にして、本気の技を使った。 今回は、たった五匹。 通常の剣技で十分だった。 (数が減ったか……それとも、別の群れか) 分からない。 だが、この程度なら問題ない。 軍隊長は、歩き出した。 ◆重力の変化 四時間後。 体が、重くなり始めた。 (来たか……) 先日の遠征で、隊列が苦しんだ「重圧」だ。 足が、鉛のように重い。 腕も、持ち上げるのが辛い。 先日は、この地帯で兵士たちが倒れ始めた。 そして、火を吐く犬型モンスターに襲われた。 軍隊長は、足を止めた。 深呼吸する。 体の力を抜く。 (……無理に抗うな) 重力が増しているなら、それに合わせて動く。 力で押し返すのではなく、流れに乗る。 ゆっくりと、歩幅を狭める。 一歩一歩、確実に。 時間はかかる。 だが、体力の消耗は抑えられる。 (これが、一人の利点だ) 大勢なら、全員のペースを合わせなければならない。 弱い者に合わせれば、強い者が苛立つ。 強い者に合わせれば、弱い者が倒れる。 一人なら、自分のペースで動ける。 軍隊長は、ゆっくりと、でも確実に、前へ進んだ。 ◆二度目の敵 五時間後。 やつらが現れた。 犬型モンスター。 三つ目。 火を吐くやつ。 今日は——二匹。 ゴォォォ!! 炎が、軍隊長に向かって放たれた。 軍隊長は、横に跳んだ。 重力が狂っている。 普段のようには跳べない。 だが—— 「この程度なら、読める」 炎の軌道を見切った。 薄い部分を、突破する。 一瞬で、懐に入る。 剣が、振り下ろされた。 ザンッ!! 一匹目が、倒れた。 二匹目が、炎を吐こうとした。 遅い。 軍隊長の剣が、首を刎ねた。 「……ふぅ」 今度は、少し息が上がった。 重力の影響で、動きが鈍っている。 炎を避けるのに、いつもより体力を使った。 「……休憩するか」 岩陰に腰を下ろす。 水筒を取り出し、少しだけ飲む。 乾燥した肉を、一切れ口に入れる。 噛みながら、空を見上げた。 太陽が、高い。 正午を過ぎた頃だろう。 (先日は、この辺りで撤退した) つまり、ここから先は未知の領域だ。 軍隊長は、立ち上がった。 「……行くか」 ◆未知の領域 六時間後。 景色が、変わった。 今までは、岩と砂と噴気孔。 厳しいが、まだ「地面」があった。 ここから先は—— 「……なんだ、これは」 軍隊長は、足を止めた。 地面に、巨大な剣が刺さっていた。 人間が使うサイズではない。 刃だけで、軍隊長の身長より長い。 柄まで含めれば、五メートル以上ある。 錆びている。 だが、形は保っている。 (……武具の墓場か) 見回すと、他にも同じようなものがあった。 槍。斧。盾。 すべてが、巨大。 すべてが、地面に突き刺さっている。 武神の名残。 伝説では、武神と魔神がこの島で戦ったという。 これは、その戦いの痕跡か。 軍隊長は、巨大な剣の横を通り過ぎた。 刃に触れないように、慎重に。 触れたら、何が起こるか分からない。 この島では、何が起きても不思議ではない。 ◆第一地点 七時間後。 軍隊長は、ついにそこに着いた。 第一地点。 目印は、崖に刻まれた印。 過去の挑戦者が残したものだ。 「X」の形。 その下に、いくつかの名前が刻まれている。 軍隊長は、印を見上げた。 ここまで来た者は、そう多くない。 名前は、十数個しかなかった。 「……ふん」 軍隊長は、短剣を取り出した。 崖に、新たな印を刻む。 「アルダ軍隊長」 それだけ。名前は刻まなかった。 任務は、これで完了だ。 第一地点に到達。 アルダ軍がここまで来たという証を残した。 帰ってもいい。 だが—— 軍隊長は、奥を見た。 道は、まだ続いている。 第一地点の先。 そこには、何があるのか。 「……少し、見てみるか」 任務は完了した。 ここから先は、自分の意思だ。 軍隊長は、奥へ進んだ。 ◆さらに奥へ 第一地点を過ぎると、空気がさらに変わった。 重い。 熱い。 そして——何かが、うごめいている。 気配だ。 今までのモンスターとは違う。 もっと大きな、もっと危険な何かの気配。 軍隊長は、足を止めた。 (……無理はするな) 自分に言い聞かせる。 今日は、第一地点に着いた。 それだけで十分だ。 欲張る必要はない。 だが—— 「……見たい」 戦士としての本能が、囁いていた。 この先に、何がいるのか。 どれほど強い敵がいるのか。 自分は、それに勝てるのか。 「……少しだけ」 軍隊長は、さらに奥へ進んだ。 ◆それ 三十分後。 軍隊長は、それを見た。 最初は、岩だと思った。 巨大な岩が、道を塞いでいる。 だが——岩が、動いた。 「……っ」 岩ではなかった。 生き物だった。 巨大な、四足の獣。 体高だけで、三メートルはある。 全身が、鱗のような甲羅で覆われている。 目は、赤く光っている。 そして—— グルルルルル…… 低い唸り声。 地面が、震えた。 軍隊長は、剣を構えた。 だが、心のどこかで分かっていた。 (……勝てない) 今の自分では、あれには勝てない。 七時間歩いてきた。 モンスターとも、何度か戦った。 体力は、すでに半分以下だ。 あれと戦って、勝ったとしても—— 帰る力が残らない。 「……くそ」 軍隊長は、悔しそうに呟いた。 ここで引くしかない。 分かっている。分かっているが—— 獣が、動いた。 ゆっくりと、軍隊長の方を向く。 目が合った。 赤い目。 知性を感じる目。 そして——敵意。 グォォォォォ!! 咆哮。 空気が、震えた。 軍隊長は、反射的に後ろに跳んだ。 だが、獣は追ってこなかった。 ただ、睨んでいる。 警告だ。 『ここから先は、お前の領域ではない』 そう言っているようだった。 軍隊長は、剣を下ろした。 「……今日は、引く」 声に出して言った。 獣に聞こえたかは分からない。 だが、言葉にすることで、自分を納得させた。 「だが——いつか、必ず戻る」 軍隊長は、背を向けた。 ゆっくりと、来た道を戻る。 後ろから、視線を感じた。 獣が、まだ見ている。 足を速めない。 逃げるようには、見せない。 ただ、静かに、帰る。 それが、今の自分にできる、精一杯のことだった。 ◆帰路 帰り道は、思ったより長く感じた。 体力が、限界に近い。 足が、重い。 息が、荒い。 「……くそ」 軍隊長は、歯を食いしばった。 まだだ。 まだ、倒れるわけにはいかない。 部下が待っている。 港で、自分の帰りを待っている。 「……帰るんだ」 自分に言い聞かせる。 一歩。 また一歩。 太陽が、傾き始めていた。 夕日が、空を赤く染めている。 (……綺麗だな) ふと、そう思った。 戦場で、何度も夕日を見た。 でも、今日の夕日は、特別に綺麗に見えた。 (……まだ、死にたくないな) 軍隊長は、笑った。 自分が、こんなことを思うとは。 ずっと、死を恐れていなかった。 戦士として、いつ死んでもいいと思っていた。 でも、今は違う。 あの獣に会って、分かった。 自分は、まだ弱い。 もっと強くなれる。 もっと先へ行ける。 「……まだ、終わりじゃない」 軍隊長は、歩き続けた。 ◆夜 日が落ちた。 軍隊長は、岩陰で足を止めた。 夜に動くのは、危険だ。 モンスターが、暗闘の中で活発になる。 「……ここで休む」 岩に背を預け、座る。 食料を少し口に入れる。 水を、少しだけ飲む。 空を見上げた。 星が、たくさん見えた。 「……明日、帰る」 声に出して言った。 誰にも聞こえない。 でも、言葉にすることで、約束になる。 軍隊長は、目を閉じた。 明日のために、今は休む。 意識が、ゆっくりと沈んでいった。