――強き者は、戦いを求めていました。 それは欲ではない。生存の証。 われらの祖は"冑(かぶと)なき軍"を編み、 異存の影を墜とす。  その祖の言葉は、剣戟の響く鍛錬場だけでなく、静かな広間にも貼りついている。  この日、火を囲む者たちは火から離れ、板張りの床の上に集められていた。  砦の中央にある古い屋敷は、かつてこの土地を治めていた殿様の居館だったと聞く。  今は冑なき軍の本丸であり、戦を決める場でもある。  その広間には、三つの席が用意されていた。  一つは北側。床の間を背にした席。  一つは西側。窓から砦の中庭が見える席。  最後の一つは東側。外の街道へとつながる門を遠くに臨む席。  北の席には、葦原透真が座っていた。  片刃の長剣を脇に置き、背筋を伸ばし、静かに茶碗を手にしている。  彼の周りには、護心流を主とする隊の長たちが控えていた。  西の席には、両手に符を抱えた老人が座っている。  深い皺。細い目。  指先には墨の染みが残り、その一本一本に力が宿っているように見えた。  気錬流の流派を束ねる者だ。  東の席には、全身に傷痕を持つ壮年の男がいる。  肩は広く、腕は太く、背中には幾人もの影を背負っているかのような重さがあった。  閃刃流の長。  攻撃と破壊を極めた者。  広間の中央には、粗い地図が敷かれている。  布に描かれた山と川と街道。  その一角、南方の空白の中に、黒い墨で一つの円が塗られていた。  灰灯廃都。  その名を口にすると、空気が少しだけ冷たくなる。  かつて城があり、城下町があった場所。  いまは灰と瓦礫と無名の死者たちの眠る地。  その円の中に、透真は小さな石を一つ置いた。  周囲にいる者たちの視線が、その石に集まる。 「……では、改めて」  透真は茶碗を畳の上に置き、膝を正した。 「ここ数月の間に、南から上がってきた報について。  まずは順を追って話そう」  広間の隅に控えていた若い書き役が、巻物を開く。  そこには、いくつもの砦や宿場から届いた伝令の言葉が書き連ねられていた。 「最初は、街道沿いの行商人や旅人の話だった」  透真の声は淡々としている。  だが、その一節一節が、広間の空気を少しずつ重くしていった。 「『南の道で、連れがとつぜん消えた』  『さっき渡ったはずの橋を、また渡らされた気がする』  『崩れた城門が、一瞬だけ元の姿で見えた』  『人の気配のない城下町に、夜だけ灯がともる』」  気錬流の長が、細い目をさらに細めた。 「似た話は、昔から無くはない。  だが、重なり方が違うな」 「その通りだ」  透真は地図の上の道を指でたどった。  南へ。山間を抜け、谷を越え、かつての城下町のあった場所へ。 「一つの砦からなら噂で済む。  だが、北の砦、西の砦、東の砦。  どこから来た話も、行き着く先は同じだ」  指先が、黒い円の縁で止まる。 「灰灯廃都」  その名が広間に落ちたとき、何人かの喉がごくりと鳴った。 「そこに最近現れた影がいる。  姿を見た者は、ほとんどいない。  ただ――その影の近くで、時間の筋が乱れる」  閃刃流の長が眉をひそめる。 「時間の筋、とは」 「同じ刻を二度歩かされた感覚」 「昨日と同じ刻に、同じ場所を通されたという証言」 「崩れたはずの建物が、一瞬だけ元の姿に戻って見える」 「夜と昼が、場所によってずれる」  一つ一つ、透真は報告された言葉を並べた。 「どれも、疲れた舌が吐いた戯言とも言える。  だが、これほど似た言葉が、別々の口から出るなら――」 「戯言では済まない、か」  気錬流の長が静かに言った。  指先で符を撫でる仕草は、何かの文字を書いているようにも見える。 「お前の見立ては?」  閃刃流の長が透真に問う。  透真は一拍置いてから、言葉を選んだ。 「始祖級の可能性が高い」  広間の空気が、一段と重くなった。  誰も驚きはしなかった。  だが、その言葉が口にされたことで、逃げ場のない現実に形が与えられた。 「五体のうち、一体。  名まではまだ定かではない。  だが、その影の在り方から、刻を歪める性質を持つと推測される」  刻界ノ男。  まだ名は出さない。  だが、その呼び名は、既にいくつかの砦の記録の端に書き込まれ始めていた。 「……さて」  透真は、視線を西側の席に向けた。 「ここからが、本題だ。  あの灰の廃都にいる影に、どれだけ刃を届かせられるか。  それを決めねばならない」 ◇ 「まずは、気錬流の長。  あなたの流派の見立てを聞かせてほしい」  透真の促しに、老人はゆっくりと頷いた。  指先の符を一枚取り、畳の上に置く。 「気錬流は、己の力を他者に付与する技だ」  老人の声は掠れているが、よく通る。 「武器に力を込め、仲間の身体能力を高め、結界を強化する。  『ここに力を与える』と念じれば、その対象は一時的に強化される」  広間にいる者たちの多くは、実際にその力を見たことがあった。  折れるはずの刃が持ちこたえ、届かないはずの一撃が届く。  それは、気錬流の付与が生んだ結果だ。 「だが、付与というものは、相手の状態を読む行為だ。  対象の動き、呼吸、そして周囲の流れを感じ取り、そこに力を重ねる」  老人の細い目が、地図の上の灰灯を見た。 「もし、その周囲の流れそのものが、ぐらぐらと揺れていたなら。  付与した力が、意図しない方向に流れるかもしれん。  あるいは、同じ対象に二度付与され、過負荷で壊れるかもしれん」  気錬流の長は符を指で弾いた。  コト、と小さな音がする。 「刻界――刻を歪める性質を持つ異存がいる場では、我らの付与は安定しない。  力を与えたつもりが、別の結果を招くかもしれん。  それは、ただ効かないという生易しい話ではない」  透真が静かに頷いた。 「暴れる、ということか」 「そうだ」  老人の声には苦みがあった。 「我らの付与は、対象を強くするための楔だ。  だが、土台そのものが揺れているときに楔を打てば、楔は抜けて飛び、別の者を貫く」  広間に沈黙が落ちた。  気錬流の力に何度も助けられてきた者たちにとって、その言葉は重い。 「始祖級の刻界の中で付与を行うのは、己の首を差し出すに等しい。  それでも行けと言うなら、行く者はいるだろう。  だが、私は流派全体としては止めねばならん」  老人は、床に置いた符を手に取り、袖の中にしまった。 「我らが出るべき場ではない」 ◇ 「閃刃流の長は?」  透真が視線を東に向ける。  壮年の男は、腕を組み、しばし目を閉じていた。  やがて、ゆっくりと口を開く。 「閃刃流は、純粋な攻撃の技だ。  己の力を刃に込め、敵を斬り裂き、破壊する。  一撃で決め、一撃で終わらせる」  彼の言葉に、何人かの隊長が頷く。  閃刃流の一撃が敵を両断する光景は、戦場で何度も目撃されてきた。 「だが、そのためには、刃が敵に届かねばならん」  閃刃流の長は、拳を握った。  ぎり、と骨が軋む音がする。 「踏み込みの刻。  刃を振り下ろす刻。  敵に触れる刻。  それらがずれれば、力は虚空を切り、己の身体を壊す」  彼は地図の上の灰灯を睨んだ。 「刻界――刻が揺れる場では、踏み込みが狂う。  振り下ろした刃が、敵のいない場所を斬る。  力を込めた一撃が、自分の筋肉と骨を引き裂く」 「それでも、斬ることはできないか」  透真が問う。  閃刃流の長は首を横に振った。 「試した者がいる」  広間がざわめく。  彼はそのざわめきを手で制した。 「南の砦の者たちが、灰灯の縁で刃を振るった。  まだ始祖級そのものとは出会っていないはずだが、刻の乱れは始まっていたらしい」  彼の声が低くなる。 「踏み込んだ瞬間、一歩が二歩分の距離を飛び、敵を通り過ぎた。  振り下ろした刃は、狙った場所から半歩ずれていた。  そして、力を込めすぎた腕は、自分の筋を三本断った」  何人かが顔をしかめる。 「その者は生きて戻った。  だが、その日以来、南の砦では閃刃流を使うなと命が出た。  刻が揺れる場では、閃刃流は自分を殺す」  閃刃流の長は、腕を解き、手のひらを開いた。 「始祖級のいる場で、我らの技を振るうのは危うすぎる。  一撃の威力を十倍にできるとしても、十倍の自滅になる可能性がある」  彼は透真を見た。 「お前が『どうしても必要だ』と言うなら、俺は行く。  だが、流派としては、やはり止めねばならん」 ◇  二つの流派が、自ら退く決断を示した。  それは臆病さではなく、自分たちの刃の届く範囲と届かぬ範囲を知る者の言葉だった。  透真は、しばし沈黙した。  広間には、外からの風の音だけが聞こえる。 「……分かった」  やがて、彼は口を開いた。 「気錬流の長。  閃刃流の長。  あなた方の判断を尊重する」  二人は静かに頭を下げた。  透真は続ける。 「では、護心流の見立てを話そう」  北の席の後ろに座っていた護心流の隊長たちが、自然と背筋を伸ばす。  レンやミナト、リツは、この場にはいない。  だが、この場で決められることは、彼らの足と刃を縛る。 「護心流は、結界を張り、敵の攻撃を防ぎ、仲間を守る技だ。  異存者の異常な力を、結界で受け止め、人の手が届く形に変える」  透真の声が、静かに広間を満たす。 「本来は、敵の攻撃を防ぐために使う。  だが、護心流は『何を守るか』を選べる」  彼は自分の足元に視線を落とした。 「足の位置。  刃の軌道。  敵の踏み込み。  味方の退路。  それらを、結界の中にまとめて守ることができる」  気錬流の長が眉を上げる。 「結界でそこまでやれるのか」 「やれる」  透真はあっさりと言った。 「俺は戦場で、敵と自分の間に結界を張り、敵の攻撃を逸らしたことがある。  敵の刃の軌道をずらし、味方の退路だけを開いたこともある。  それは全部、護心流の結界の中での話だ」  彼の片刃は、この場では鞘から抜かれない。  だが、その一歩の重さは、ここにいる全員が知っている。 「刻界は、刻そのものを揺らす。  だが、その揺れを『結界の外に置く』ことができれば――少なくとも、結界の中では、時間の筋を揃えられる」  閃刃流の長が腕を組み直した。 「つまり、護心流の結界の中だけは、刻が揺れないようにできる、ということか」 「完全ではない。  相手は始祖級だ。  どこまで揺れを防げるかは、実際にぶつかってみるまでわからない」  透真は、自分の言葉に甘さがないように気をつけていた。 「だが、少なくとも、他の二つの流派よりは、刻界に対して『守れる』術を持っている」 「……賭けだな」  気錬流の長が苦く笑った。 「そうだ。  だが、この戦いは、どの道賭けだ」  透真は地図の上の灰灯を見つめた。 「灰灯廃都を放置すればどうなるか。  あの土地が異存の拠点となり、失墜種がさらに増える。  南から順に、砦が食われていく」  彼は広間を見渡した。 「それを止めるには、どこかで始祖級に刃を届かせねばならない。  気錬流と閃刃流がその場に立てないというのなら――」  自分の言葉を、自分で呑み込むように、一度目を閉じる。 「護心流だけが、そこに立つしかない」  その言葉には、冷たさと、責任の重さが同居していた。  護心流の隊長たちが、静かに息を呑む。 「俺は頭領として、冑なき軍全体を見ねばならない。  だが同時に、護心流の一人でもある。  誰かに押し付けて見ているだけ、というわけにはいかない」  透真は、気錬流と閃刃流の長を順に見た。 「あなた方には、別の戦場を守ってもらう。  灰灯以外の砦、街道、村々。  そこを守り、支え、戻ってきた者たちを受け入れてほしい」  気錬流の長は、深く頷いた。 「任せろ。  付与で支えられる場なら、いくらでも支えてみせる」  閃刃流の長もまた頷く。 「俺たちの一撃は、刻が揺れぬ場でなら、まだまだ役に立つ。  灰灯以外の前線は、こちらで受け持つ」  こうして、三つの流派の役割は決まった。  灰灯の中枢へ挑むのは護心流。  周辺を支え、他の戦線を守るのは気錬流と閃刃流。  残酷なほど明快な線引きだった。 ◇ 「……その上で、一つ提案がある」  透真の声に、広間の視線が再び集まる。 「いきなり全軍を灰灯に向かわせるのは愚かだ。  刻界の揺れ方も、異存の布陣も、失墜種の密度も、何一つ確かなものがない」  彼は地図の上、灰灯廃都のやや北西に指を置いた。 「まずは、若手中心の先行調査隊を送る」  ざわ、と護心流の隊長たちの間に小さな波が立つ。 「経験のある指揮官を一人、あるいは二人付ける。  だが、主力は若手だ。  足が早く、目が利き、戦場を記録することに慣れている者たち」 「若手だけを死地に送るつもりか」  閃刃流の長が、思わず言った。  透真は首を横に振る。 「死地に送るつもりはない。  生きて戻らせるつもりで送る」 「ならば、なぜ若手を」  問いは鋭かった。  だが、その裏に責める色はない。  ただ、意味を問うている。 「この戦は長くなる」  透真は言った。 「灰灯で始祖級を討つまでに、何度も出入りする必要がある。  そのたびに主力をすり減らしていては、最後まで持たない」  彼は自分の言葉の残酷さを理解していた。  だが、違う言い方をするつもりはなかった。 「若手にしか見えないものもある」  気錬流の長が静かに口を挟む。 「初めて戦場に立つ者の目は、余計な経験に曇っておらん。  戦の形よりも、場の違和感を拾う」  閃刃流の長も頷いた。 「熟練者は、どうしても『いつもの戦』に当てはめて見ちまうからな。  刻が揺れる場では、その慣れが命取りになる」 「だからと言って、若い芽を折ることには変わりはないがな」  気錬流の長の言葉に、透真は小さく笑った。 「俺たちは、いつの時代も若い芽を戦場に立たせてきた。  それでもまだ、人は残っている」  彼は笑みを消し、真っ直ぐに前を向いた。 「先行調査隊の任は三つだ。  一つ。灰灯廃都の外縁に到達し、異存者の布陣と失墜種の群れの様子を記録すること。  二つ。始祖級と見られる影の位置と、その周囲で起きている異常の種類を確認すること。  三つ。必ず、一人は生きて戻ること」  静かな広間に、その三つが刻まれた。 「そのために、俺も、ミナトも、護心流の長たちも、できる限りの支えをする。  だが最後に足を動かすのは、彼ら自身だ」  透真は、護心流の隊長たちを見渡した。 「各隊から、目と足の利く若手を選んでほしい。  経験のある者を一人、指揮官として付ける。  出立は三日後を目処とする」  誰も、声を上げて反対はしなかった。  反対しても、他に道がないことを全員が知っていたからだ。 ◇  会議が終わると、気錬流と閃刃流の長たちは広間を後にした。  それぞれの戦場へ戻るために。  残されたのは、透真と、護心流の隊長たち。  扉が閉まる音を聞いたあと、広間の空気がわずかに変わった。 「……頭領」  最前列に座っていた一人の隊長が口を開く。  灰条ミナト。  彼の双剣は、今は腰で静かに眠っている。 「本当に、若手を中心に?」 「ああ」  透真は迷いなく答えた。  ミナトの表情に、わずかな翳りが浮かぶ。 「第五からも、何人か行かせることになるだろう」 「……はい」  ミナトは視線を落とした。  焚き火を囲んで笑っていた顔が、脳裏に浮かぶ。  ナギ。  リツ。  レン。  そして、名前を挙げればきりのない、無名の隊員たち。 「心配か」 「当然です」  ミナトの答えは短かったが、嘘はなかった。 「若手は、戦場に立てば成長する。  ですが、成長する前に折れる者もいる。  折れた者は戻らない」 「それでも、行かせねばならない」  透真は、自分に言い聞かせるように、しかし声を揺らさずに言った。 「俺たちは、『自分たちで選んだ死に方以外を拒むため』に戦っている。  死に方を選ぶためには、まず場に立たねばならない」  ミナトは目を閉じた。  その言葉は、彼がいつも部下にかけている言葉でもある。 「……分かりました。  第五から、志願を募ります」 「任せる。  ただし、一人は残せ」  透真の言葉に、ミナトが顔を上げる。 「一人?」 「誰でもいいわけではない。  足が早く、刃が届き始めていて、まだ折れていない者だ」 「……芹沢、ですか」  ミナトは自然と一人の名を思い浮かべていた。  昨日、異型の腕を斬り落とし、それでも震えながら立ち続けた若者。 「お前がそう見るなら、それでいい」  透真は、具体的な名は口にしなかった。  その代わり、別のことを告げる。 「先行調査隊が戻らなかったとき、次に出るのは誰か。  考えておけ」  ミナトは息を呑んだ。  戻らなかったとき。  その言葉の重さを、彼は痛いほど理解している。 「そんなことを考えずに済む戦なら、どれほど楽か」  透真は苦笑した。  だが、その笑いはすぐに消えた。 「だが、楽ではないからこそ、俺たちがいる」  彼は立ち上がった。  広間の板が、わずかに軋む。 「各自、隊に戻れ。  若手に話を通し、三日後の出立に備えろ」 「了解」  護心流の隊長たちは一斉に頭を下げ、広間を後にした。 ◇  ミナトが第五の宿舎に戻ると、いつものように喧噪が出迎えた。  武具を磨く音。  誰かの笑い声。  焚き火のぱちぱちという音。 「隊長!」  レンが真っ先に気づいて駆け寄ってきた。  槍を片手で抱え、もう片方の手でミナトの肩を叩く。 「会議はどうでした? 肩凝ったでしょう」 「お前は会議というものを何だと思っている」 「座って話す戦ですよ。俺は槍のほうが合ってます」  ミナトは小さくため息をついた。  だが、その口元には、わずかな笑みが浮かぶ。 「レン。  第五から、先行調査隊に出す者を選ぶ」  その一言で、宿舎の空気が変わった。  リツが顔を上げ、ナギが思わず立ち上がる。 「先行調査……」  ナギの喉が鳴る。  ミナトは全員を見渡した。 「南の灰灯廃都の外縁まで行き、敵の様子を見て戻る任だ。  始祖級がいる可能性が高い。  だが、直接ぶつかるのはまだ先だ」 「でも、失墜種や異存者の群れはいるってことですよね」  レンが確認する。  ミナトは頷いた。 「戻れぬ可能性もある。  志願制にする」  しばしの沈黙。  最初に一歩前に出たのは、やはりレンだった。 「行きます」  即答だった。  ミナトは予想していたように頷く。 「分かっていた」  次に、一人、二人と若手が前に出る。  無名の隊士たち。  焚き火を囲んで笑っていた顔が、今は真剣だ。  ナギも、一歩前に出ようとした。  足に力を入れ、息を吸い込む。 「隊長、ぼく――」 「ナギ」  ミナトの声が、それを遮った。  ナギは思わず足を止める。 「お前は残れ」 「……え?」  ナギの顔に、驚きと悔しさが同時に浮かんだ。 「ぼくも行けます。  昨日だって、ちゃんと……」 「行けることは知っている」  ミナトの声は、いつも通り落ち着いていた。  だが、その瞳には迷いがない。 「だからこそ、お前を残す。  戻らなかったときのために、足と刃を残しておかねばならない」 「そんな……」  ナギは言葉を失った。  自分が信頼されているのか、信頼されていないのか、分からない。  レンがそっとナギの肩に手を置いた。 「ナギ。  残るのも戦だぞ」 「でも……」 「俺たちが戻ってきたとき、火の場所が無くなってたら困るだろ」  レンの言葉は軽い。  だが、その目は笑っていなかった。 「火の前に座る場所を守るのも、戦だ。  お前にはそれができる」  リツも、一歩近づいてきた。 「ナギ。  私は行く」 「リツさんも……」 「私の結界は、前に出るときに使うものだから」  リツは、こめかみのあたりを軽く押さえた。  昨日結界を張った疲れがまだ残るはずなのに、その表情は変わらない。 「お前は、ここで守る重さを覚えなさい。  火を囲む重さを」  ナギは唇を噛んだ。  悔しさ。  怖さ。  安堵。  その全部が胸の中で混ざり合い、言葉にならない。 「……分かりました」  ようやく絞り出したその一言に、ミナトは小さく頷いた。 「三日後、先行調査隊は砦を出る。  それまでに、各自準備をしておけ」 ◇  夜。  焚き火のまわりに集まる者の数は、いつもと変わらなかった。  だが、その顔ぶれは少し違っていた。  志願した者たちが、火の明かりを見つめている。  その中にはレンとリツもいる。  ナギは少し離れた場所で、同じ火を見つめていた。 「……行きたかったか」  ミナトが傍らに立ち、問いかけた。  ナギは驚いて振り向き、すぐに視線を戻した。 「はい」  迷いのない答えだった。  ミナトは、満足そうとも苦そうともつかない表情を浮かべた。 「その気持ちは、消すな。  ただ、今は火の側に残れ」  焚き火の炎が揺れる。  その向こうに、レンが仲間と冗談を言って笑っている姿が見える。  リツは静かに刀を磨き、火の色を刃に映している。  ナギはそれを見つめながら、小さく拳を握った。  ――いつか、自分もあの火の向こうに立つ。  その「いつか」が、こんなにも近い未来だとは、このときの彼はまだ知らない。