# 第5章 それぞれの夜 --- ## 官僚の夜 夜。 街の一角、光り輝く料亭の個室にて。 昼間、群衆に「希望を運ぶ」と演説していた官僚は、今は上等な酒を片手に豪快に笑っていた。 「ハッハッハ! 見たか、今日の拍手喝采! あれだよ、あれが秩序の証だ!」 向かいに座る同僚の官僚が頷く。 「さすがですな。移民に優しくするあたり、実に効果的でした」 「効果的? あんなもの小道具だ。だが群衆は簡単に信じる!」 官僚はグラスを掲げ、金色の液体を喉に流し込んだ。 官僚のAIが、サポートするように読み上げる。 「明日のご予定:記者会見が昼十二時から。午後二時には橋梁視察です。お疲れが出ませんように」 「進捗か……六割まで来たな。このペースなら選挙に間に合う」 「さすがでございます」 その時、襖の向こうから「ガシャーン!」と皿の割れる音がした。 仲居が転び、料理をぶちまけてしまったのだ。 官僚は振り返り、しばし睨みつけ——次の瞬間、にっこり笑った。 「おっと、怪我はないか? 君の未来はこれからだ、気にするな」 仲居は恐縮して頭を下げ、周囲の同僚たちも「さすがですな」と拍手を送る。 官僚のAIがそっと補足する。 「観察:本日も丁寧なご対応をされていますね。周囲の方々も感心しておられます」 「黙れ」 だが仲居が下がった後、官僚は口の端を吊り上げて呟いた。 「……給料からきっちり引いておけ」 部屋の中に笑いが弾けた。 --- ## 移民家族の夜 同じ夜。 路地の奥、小さな集合住宅の一室。 剥がれた壁紙、薄暗い照明、ぎしぎしと鳴る床板。 そこに移民家族の一日の終わりがあった。 母は小さな鍋に水を注ぎ、残り少ない野菜を刻んでいる。 子どもは古びた端末を膝に抱え、楽しげに遊んでいた。 「母さん、見て! 今日もクリアできた!」 「ええ、すごいわね」 母は笑顔を返すが、その目はどこか曇っていた。 壁に取り付けられた小型のAI端末が、控えめに告げた。 「お知らせ:支援残高は21クレジットです。補充日まであと少し、一緒に工夫しましょう」 母は包丁を止め、少し考える。 「……そうね」 「提案:明日は特売日です。野菜がお得になりますよ」 「……子どもがいるのに」 子どもが突然、端末を差し出した。 「母さん! この広告見て! 隣町に遊園地があるんだって! 橋ができたら行こうよ!」 画面には、眩しい光に包まれた映像——回転する観覧車、笑顔の子どもたち。 母は思わず目を細めた。 「……そうね、行けたらいいわね」 その時、壁のAIがそっと言った。 「お知らせ:観覧車、楽しそうですね。橋が完成したら、開通記念の割引があるかもしれませんよ」 母は少し驚いてAIを見た。 AIは続けた。 「……楽しみは、待っている間も楽しいものです。きっと行けますよ」 母は思わず微笑んだ。 「……ありがとう、励まされたわ」 子どもは気づかず、嬉しそうに遊園地の映像を眺めている。 「橋ができたら……きっと、良いことがあるんだよね?」 母は答えず、子どもの髪を撫でた。 --- ## 雑貨屋の自販機 同じ夜。 雑貨屋の前の自販機が、ぼんやりと夜道を照らしていた。 労働者が缶コーヒーを買おうとボタンを押した瞬間、背後から声がした。 「お、学生さん」 振り向くと、昼間話した学生が立っていた。 「こんな時間まで何してんだ」 「別に。ただ考え事を」 「考え事ねぇ……」 二人が自販機の前に並んでいると、さらに足音が近づいてきた。 「おや、君たち」 振り向くと、昼間演説していた官僚が立っていた。 労働者は眉をしかめる。 「……こんな時間に、どうしたんですか」 「缶コーヒーを買いに来たんだ。自販機がこの近くでね」 官僚のAIがうっかり補足する。 「補足:夜のコーヒーもいいですね。市民の皆さんとの何気ない交流、大切にされていますね」 「おい! 本当のことを言うな!」 学生が吹き出した。 「AI、正直すぎませんか?」 官僚は苦笑しながら缶コーヒーを三本買い、二人に差し出した。 「まあ、タダなら飲むだろう?」 労働者は受け取り、ため息をついた。 「……選挙の差し入れか。まあいい、貰うもんは貰う」 学生も受け取りながら、皮肉を込めて言う。 「経費で落とすんですか?」 「うるさいな、学生のくせに」 三人の笑い声が夜の路地に響いた。 その時、雑貨屋の奥から店主が顔を出した。 「おや、今日は賑やかだね」 三人が振り向くと、店主は軽く手を振っただけで、また奥に引っ込んでいった。 それだけだった。 だが不思議と、その一言が夜の空気を和らげた気がした。 --- ## 同じ夜空 料亭の個室で笑う官僚。 薄暗い部屋で子どもを抱く母。 自販機の前で缶コーヒーを開ける三人。 同じ夜空の下、同じ橋を見上げている。 だがその橋が見せる未来は、それぞれ違っていた。 --- **(第6章へつづく)**